2014年4月 アーカイブ

2014年4月30日 19時30分44秒 (Wed)

◆「信じる」こと

◆「信じる」こと何を達成するかは、ほとんどの場合、
何を信じるかによって決まります。

逆に達成できなかった時、「信じることができない」と「あの人はアカン…」と責任を転嫁しがちであり、
信じることを簡単にあきらめ、自責を他責にしがちです。

ロビンズ五訓に「努力と向上心の持久」があります。私は一番好きな言葉かもしれません。
3つの責任を背負っています。
努力・向上心・持久力……。
全て信じることから起こります。

人生、思い通りに行かない、信じることをあきらめさせるようなことがおそらく起こることでしょう。
それでも、信じ続ける、がんばることをあきらめない、そういう自分でありたいと思います。

先日、選手に「自分が信じていることは何ですか?」と問うた。
難しい質問だったと思います。
指名した選手が、「努力する自分です」と答えた。
理想的な答えを縛りだした感じではなく、本人の日頃の練習態度などから素直に発したと私は感じた。

私生活や仕事では、失敗だらけ・挫折だらけです。
しかし、私を今まで支えてきたものは、失敗の連続という「豊かさ」と信じる事か起こる「努力」です。
仕事で10回どころか、100回も1000回も、失敗や残念なことがありました。
野球の時でも同じです。
何度も何度も成功を目指して試みた自分が、失敗の連続のおかげで、ささやかなたった1つの成功に嬉しくて泣けて感謝できる「心の豊かさ」を育ててもらった気がします。
それを信じて、また努力できることを大切にしたいです。

成長のステップで失敗なしに、豊かな心を育める手段があれば教えて欲しいと思う時があります。
それは、失敗から立ち上がる時に、心折れない様に立ち向かうのには、とんでもないエネルギーが必要だから・・・。

2014年4月29日 23時55分12秒 (Tue)

◆息子からの仁愛

◆息子からの仁愛この時期になると、毎年思い出すことがあります。
今から15年も前の話。(2回目の寄稿です)
--------------
小1ぐらいからキャッチボールを始めた。
3年生になりスポ少で皆と野球を楽しんだ。
6年生まで弱小チームだが「一生懸命」やっていた。
みんなで、一緒に夢を追った。
親として応援し、しっかりと見守ったつもりだった。

ちょっと「肘」を痛めた。

中学の野球部でイジメにあった。
スポ少からの同僚からだった。
悔しがった。
人間不信に陥った。
肘は、まだ痛かった。

久しぶりに親子でキャッチボールをした。
長く、続かなかった。
彼は親父の心を読み、親父は我が子が愛おしかった。
詫びた、「その肘の痛みは遺伝だ!すまん」。
彼は言った、
「ありがとう。このキャッチボールで最後にする…ゎ」と。

二人で泣いた。

翌日、イジメの苦難も自ら解決し、他のスポーツを選び、とことん極めた。
私は、あの時の彼の仁愛こもる「ありがとう」に、言葉もボールも今になっても、返してやれないままです。

今、仕事で様々なスポーツ現場での取材を通じ、選手の人となりを深掘りし、勝負の「綾」・「感動」を伝えてくれている。
スポーツと人との出会いが好きなままで、大人になってくれたことに感謝です。

2014年4月23日 1時20分13秒 (Wed)

◆天然と養殖

◆天然と養殖 関西にある大学野球の老舗リーグ、「関西学生野球連盟」に所属する近畿大学硬式野球部は同加盟大学の中では、ひと際「大阪」を象徴する存在である。
関関同立・京大・そして近畿大学。
ある意味、6チームの中での存在価値を十分に発揮している。
野球部を中心としたスポーツアスリートの数には事欠かない。
中日・荒木やオリックス・糸井、昔はロッテ・有藤、南海・藤原。
相撲、水泳も多くの有名選手を輩出している。
 その近畿大学が人気日本一、受験者数日本一になった。
これらは総て「まぐろ」のお蔭らしい。
近畿大学は水産研究所の近大まぐろ養殖成功によって、一気に人気大学の一翼を担うようになった。
その成果は、野球部の神宮大会優勝より効果大。
五輪選手の入江涼介・寺川綾より、校名を高めた。

 大学本来の研究活動をベースにした事業化への人気である。

 遅れを取とってはいけないと、あちこちの大学が名乗りを上げ始めた。
水産資源の枯渇、世界中からのバッシングを目の前に科学の力で打開しようという心意気に充ちている。
岡山理科大学はくろまぐろについで、ニホンうなぎの養殖に乗り出した。
真水に塩を入れるのではなく、好適環境水の素を入れて魚たちを元気にしている。
車海老、シマアジ、クエなど次々と挑戦し、いまの課題は魚の家畜化であるという。
本来海の生物である魚類を、陸にあげ、さらに山で飼うことを可能にする技術は、哲学や倫理の面でいろいろな議論があることは勿論だが、経済効果の創出だけでなく、技術の完成とともにそうした倫理面での認識も議論すべきだろう。

 天然物が安定収穫できない時代、言い換えれば喰い散らかす時代に、「外洋で鍛えられた様な選手」が近畿大学にも集まらなくなったのかは判らないが、昨年夏の不祥事で硬式野球部は1シーズンを棒に振った。
 甘い体質と心の緩みがあったのだ!

 全てに恵まれて、喰い散らかすことを罪悪と思わなくなる事もあるだろう。
 自分の欲求の為の「養殖」ではなく、「天然」=「世間で通用する」人間創りも野球を通じて学びたい事だ。

2014年4月17日 0時51分54秒 (Thu)

◆夢叶うまで・・・

◆夢叶うまで・・・その夢を叶えたい、自分のため・・・チームで掴むまで「あきらめない!」。
その言葉と行動が、「真の自分」という価値に変わる

自分のために、誰かのために、あきらめないということ。
それができる人、できない人、その差は大きい。

「あきらめない」と決めた時点では、たいした違いは無いかもしれない。

しかし、そう決めて行動してきた時から、1週間、1ヶ月、1年と過ぎ去っていけば、結果は現れてないとしても、得ている何かの量と質は、きっと違うだろうと思う。

その何かが、「真の自分」の価値に変わっているはず。

あきらめない、どんなことがあっても、あきらめない。
夢の形が、状況によって変わったとしても、あきらめない。

あきらめないことだけが、最低限の表現できる自分の力、ということもあります。
あきらめない自分を作るには、自分で自分を変えること。
昨日と変えること。
明日に向かって、変えること。

変えられる事の簡単なポイントは「自主性」・「自覚」です。
昔から、叩き込んでいる言葉が有ります。
「他人にやらされてた練習を努力とは言わない。」…私は本当にそう思う。

相手から「一生懸命、やってますよ。」と返答されて、なんかしっくりこないなぁ、と思うことがあります。

こちらが指導したり、教えたり、訓練していることに対しては、一生懸命やっているけれど、自発的に考えてがんばるわけじゃないから、実際のところ、たいして伸びない。

つまり、自分の気持ちという面で強く立っているわけじゃなくて、自分以外の誰かのやる気によりそって頑張っているだけだから、予想以上に伸びるということがない。

だから、不満だけは一人前に、周りを抱き込んで言えたりする。
「だって、教えてもらってない。」…こんな言葉がもれる。

「努力すること」は、言葉では簡単に教えられないのだ。
あきらめず努力を継続できる能力は、ある意味、「才能」だと思う。

一般的な社会人にも多く見受けられる、「解りません・・・、聞いていません。」的な、ちょっとした対応力・柔軟性を自主的に身につけようとしない人がある。
「自覚が足らん」のです。
単に、給料を時間割でもらっている風に見えてしまう。
「他人にやらされた仕事を仕事とは言わない。」

野球も仕事も、自分以外の誰かのやる気によりそって頑張っているだけなら、成長は無い。

・・・深く反省し、じっと手を見る。

2014年4月10日 1時13分27秒 (Thu)

◆桜便りと祭礼。

◆桜便りと祭礼。世間は桜満開!!
一年間、風雪に耐え、この時ぞとばかりに咲き誇る桜。
その、潔い散り方も、美しい。
この季節になると郷里の「春季例大祭」・・・春祭りを思い出す。
4月の15日がその日だったのが、過疎化がすすむ田舎は、人手不足で仕方なく今では4月の第3日曜日になったそうだ。
 この福光宇佐八幡宮春季例大祭は、約230年前から行われているらしいが、文献によると「再興後」の記録であり、それよりかなり以前から伝わる由緒ある行事だそうだ。
1901年から厄年男性が奉仕するようになり、御神輿担ぎは、氏子の神聖な奉仕として現在まで受け継がれている。
私も、生まれもってのお祭り好き、「弾ける」というよりも、その神事に「心揺さぶられ、身が引き締まる」と言う「ノリ」である。
御神輿の重さは、1トン以上ある。
数え歳で25歳、42歳、61歳らの厄年男性が丸1日かけて約十数kmを巡幸。
かなりの体力が要る。
翌日の疲労も、半端ではなかった記憶が有る。
4月中旬の開催とあって、小矢部川沿いを彩る満開の桜並木を進む姿が見所の一つである。
私が、次に御神輿を担ぐまでは7年あまり、ちょうど東京五輪の年となる。
初めて担いだ25歳の時は、ご神体が夕刻に宮入するときのクライマックスでは涙が止まらなかった。
厄年に担ぐ!!
一生に3度だけしか担げない。
この感動と感謝そして達成感が一生の思い出になっている。
そんな「魂の嵩振り」を誰もが感受していた訳ではないかもしれない。
「何で、こんなしんどい事せなあかんねん」と思う担ぎ手もいただろう。

福光宇佐八幡宮周辺では、御神輿、獅子舞、屋台が一日中町内を賑わせ、祭りムード一色となり、小学生の頃は獅子舞で赤いおべベを着て、化粧を施され、剣、太刀、釜、長刀、棒を駆使して舞う。
歳の離れた、姉達から「上手だったよ」といつも褒められて、有頂天になっていた頃が懐かしい。

今は、甥の息子が町内を代表して、舞ってくれている。
子々孫々まで、伝えてほしい「例大祭」である。
時期も同じく大津には、有名で荘厳な山王祭神事がある。

世間では「神輿を担ぐ方」、「担がれる方」と分けてその役割を引用するが、やっぱり担ぐ方が楽しい!!
華がある!!
しかし、運行を全て司る役目となると表方・裏方とも大変である。
この神輿を拍子木を鳴らし誘導する役 (郷里では「さいきょう」と読んでいたが漢字が判らない)ほど、神経をすり減らし、判断事は難しいが、名誉ある仕事はない。
舵をとる先導役には、安全・時間などなど全ての責任があり、「単に無事の巡幸」が最大の任務なのだ。

春爛漫、人が色々な方向に動き出す「春」。
祭礼の神輿に健康・家内安全・五穀豊穣を祈願し進む担ぎ手を、方向を間違えず導くことが一番大切なのだと、感じる季節である。

ロビンズの運営は、一つの目標と価値観の共有で自然と舵取りはされていくものだと思う。
「選手」「育成会」「スタッフ」、一見、担ぎ役・担がれ役が決まっていそうだが、その役柄は事と場合によって替わる。

何を言っても、皆が「担ぎ手」であるチームは強い。
「担ぎ手」である方が、絶対に楽しい!
華がある!


 

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