2014年5月 アーカイブ

2014年5月30日 23時30分35秒 (Fri)

◆全力ですか?

マテウス・クラウディウスという、詩人がドイツにいた。
古代ローマの政治家には、クラウディウスは何人も出てくるが、それらではない。
新聞記者でもあるマテイスは、多くの「金言」を残している。
その一つに、
「ある人間を判断するには、その人の言葉によるよりは、むしろ行動によった方がよい。・・・というのは、行動はよくないが、言葉はすばらしい人間が多くいるから。」
                        
言葉はすばらしくても、実際にはそのように行動できていない人は多い。
私もそのひとり。
多くの人ができないからこそ、言葉と行動が伴っていることには価値がある。
言葉ではなく、行動していることに基準をおいて判断しようと戒められるが、
最近の事件や事故には、多くのそのような光景や事実を垣間見てしまう。
原発のその後、韓国旅客船事故、政治献金問題、維新の会分裂・・・・・・。

ロビンズの活動で教わる「全力ですか?」は、自分に対するチェックリストのひとつ。
自分自身で言葉と行動が伴っていないと感じることがあれば、まだまだ大丈夫!
「腐っていない」証だ。

2014年5月27日 0時43分46秒 (Tue)

◆体罰問題の根底

昨年末の雑誌にこんな記事があった。
年末の掃除での古紙回収に出し忘れた、古雑誌を紐解いた。
タイトルは、体罰問題の根底「古き良き日本が失われたから」とのタイトルで王貞治氏のインタビュー記事であった。

世界の王貞治氏、我々は現役時代をよく知っている、あこがれの選手であった。
今も次代を担う子供たちや若者の指導に汗を流している。
不滅の大記録を打ち立てた同氏が、今でも純粋に「野球」と向き合い、走り続けているのは何故か。
そこには古き良き日本への思いがあるのだと思う。
 
///以下、本文より、///
 12月に母校、早稲田実業高等部の忘年会が開かれた。第29回選抜高校野球大会の優勝を記念した「紫紺会」だ。
 当時16歳だった連中が今では73歳。お互いに自由な時間が持てるようになってくると、昔が懐かしくなってね。
レギュラーだった連中も、そうじゃない連中も一緒になって、「あの時はしんどかったね」、「あんたにはよく殴られたねェ」なんて笑って話すんですよ。

 今の時代は「殴られた」なんていうと、すぐ暴力だといわれてしまうけど、当時はそんなこと思いませんでした。

 一緒にきつい練習をして、同じ目標に向かって頑張っている仲間同士。
何度も何度も練習したのにどうしてできないんだという思いで、「甲子園に行くという夢を叶えるためには」と、先輩が後輩に手を出すことがあった。
そうすると後輩としても、申し訳ないという思いがあるから、憎いとか、仕返ししてやろうなんて思わないですよ。

 確かに余所から見ている第三者からすれば、暴力に変わりはないのかもしれません。
でも当事者の間には、意思の疎通というか、血の通ったところがあった。
日頃の人間関係があるから受け入れられたし、周りの人も好意的だった時代でした。

 選手同士で殴り合いの喧嘩をしても、近所の人が止めてくれて、何事もなかったようにしてくれたし、「お父さんやお母さんには転んだといえ」なんてアドバイスもくれた。
家でも、お前に悪い所があったから殴られたんだといわれるような時代だったからね。

 それが今は、何の関係もない外部から騒がれたりして、心の繋がりを作ろうにも全部、ブツブツと切られてしまうでしょう。とても難しい時代になっています。

 僕なんかは、当事者同士に任せておけばいいじゃないかと思うんです。
起きた現象だけで、関係ない人にまで色々いわれることで、昔から日本にあった“良さ”みたいなものが切れるようになってしまった。

 昔はお爺ちゃんお婆ちゃん、両親、そして先輩といった目上の人が、若い者に伝えていく……そして自分がその立場になったら同じように伝えるという、“日本的な良さ”があったんですよ。

 それがいつの間にか教えなくなり、教えないから教わらなくなった。教わる気がないから、何かいわれると説教されているとか、小言をいわれているようにとってしまう。若い人にとって、不幸な状況です。
///以上///
・・・王氏とわりと近い環境での、少年期を過ごせた我々は豊かな心を掘りおこす「機会」に多く恵まれたのだ。
これも、時代の変化・変遷を正しく観る「応用力」に活かせられれば、少しでも役に立てるのかなと思う。
「いたわり」とか、「申し訳ない」とか・・・。
相手に対する思いやりを決して、死語にしてはいけない。

2014年5月26日 12時55分34秒 (Mon)

◆ダイジョウブですか?

コンビニを利用しない日は無い。
昔の紳士は、「男子、厨房ニ入ラズ」ではないが、食べる事の段取りや感心は一歩も二歩も引いた位置にあった。
「武士は喰わねど高楊枝」として、卑しい姿を自制する言葉も多く残る。
それが最近の男(ワタシ)は、第2の冷蔵庫として使う。
そんなレジ前で、男女問わず店員さんの問いかけから確認の日本語に疑問を感じる事が多い。

「雑誌いっしょでダイジョウブですか」
 「はい」
「お弁当暖めなくてダイジョウブですか」
 「はい」
「一万円でダイジョウブですか」
 「はい」
「おつりまざりますダイジョウブですか」
 「はい」
病人ではないのだから、いちいちダイジョウブかとは失礼な……私の脳みそはダイジョウブかと問われているのなら多少の不安はあるものの、どう考えてもオカシイ。
近頃日本語はどうしたのだろう。
義務教育をサボタージュしているのではないかと感じる。
ペットを抱いて「まあカワイイ」、おばさん同士が道端で「カワイイお洋服」讃えあっている。
おばさんたちにも年齢差はあり、話し方に丁寧語・敬語などを所々挟まれていると、まあまあ心地よいが、
「ため口」が親近感を高めると勘違いの方々は、「オバカの露出」にしか見えない。
我々の会話も、程度・ラベルとレベルを見破られてしまう可能性はどこにでもある。
話し方が変われば、丁寧になる。
丁寧になれば、ゆとりができる。
ゆとりができれば、心が美しくなる。
そんな、環境を作りたい。

・・・先般、ケガしている選手に、「その後、痛みはどうだ?」と問いかけた。
「ダイジョウブです」の返答。
君も店員予備軍か?
本当に、大丈夫か?
会話の中で色々探りを入れ楽しみたい私には、コンビニのシャッターが降りた以上に、閉店ガラガラであった。

2014年5月21日 22時18分29秒 (Wed)

◆雑用(再寄稿)

「雑用」と聞いて、どんな仕事、用事をイメージしますか?
私は野球関係者の方とご挨拶の最後に「チーム内の雑用係です」といいます。
さらに「雑ではなく、丁寧にやってます」といいたいのを押し殺して・・・・。
「雑に仕事をする」「適当に用を済ませる」ことを「雑用」だと言いたいです。
下支えの仕事を「雑用」と呼ぶには、あまりにも「雑」。
これをもとに考えるとすれば、「丁寧な裏方仕事や丁寧な草むしり」は雑用に当たらないはずです。
「丁寧気配り係」が正しいのかもしれません。
もちろん、エエ加減な草むしりならば「雑な仕事」「雑な用」と言うに値するかもしれません。
実際、誰かがバット引きの仕事を「雑用」と言ったならば、素早く、丁寧にその仕事ぶりを見せつけてください。
ボール拾いの仕事を雑用と言ったならば、ボールを素早く拾いに行き、きれいに拭いて、審判へ丁寧に渡してくれたら誰にもそれを雑用とは言わせません!
任された仕事はどんなものでもあっても、「雑用」なんてありません。
「雑用」かそうではないかは、それをやる人の心構え一つだと思います。
お母さんが試合中にタオルを用意してくれることも、スタッフが練習後にグランドにブラシをかけてくれることも雑用なんかではありません。

選手のことを思って丁寧に、そして気持ちを込めてやってくれています。

仕事を「雑用」にしてしまうのは、自分次第なのです・・・。
丁寧な仕事に、そのチームの品格が表れます。

優勝させていただけるためにも、日々を丁寧に謙虚に取り組みたい。

2014年5月15日 0時26分21秒 (Thu)

◆「思いの力」

今から、100年以上も前にジェームズ・アレンというイギリスの作家がいた。
世界的な代表著作に「原因と結果の法則」がある。
十数年前のセミナーで紹介され、読んだ。
何かにつまずいた時や心が弱った時、頼りたくなるのが「啓発書」。
書店で多くのスペースをとる。
その本は1902年に記されたもので、世界に数多くある啓発書のルーツ、バイブルとも言われている。
「現実がままならないのは、すべて悪しき思いによるもので、環境のせいではない」と説く。
結果としての成功も失敗も、その原因は必ず人間の心の奥底にある支配的な思いにあると言うのである。

1世紀以上ものあいだ世界中で読み継がれている驚異的なロングセラーでナポレオン・ヒル、デール・カーネギー、オグ・マンディーノ、ナイチンゲールなど、現代成功哲学の祖たちがもっとも影響を受け、聖書に次いで一世紀以上ものあいだ多くの人々に読まれつづけている驚異的な超ロング・ベストセラーである。

内容は難解と思いきや、解りやすく、基本的な仮定は「気高い思いは気高い人を作り、低俗な思いは惨めな人を作る」である。
人の能力を向上するために心の中の「思いの力」を使うことを示している。
思いの力で、「変えられる」「変わってしまう」と説く。

彼の言葉を一つ紹介する。
『人々の多くは、環境を改善することにはとても意欲的ですが、
自分自身を改善することには、ひどく消極的です。』ジェームズ・アレン。

周りの人や相手を変えようとするのではなく、自分を変える努力をしよう。
景気が悪い、会社が悪い、上司が悪い、学校が悪い、親が悪い・・・
たとえ状況が悪くても、自分の軸をしっかりとさせていれば環境は関係ない。
環境の問題ではなく、自分自身の問題なのだと考えてみよう。

ほら、胸に手を当てて・・・、
我々が周りの環境のせいで、できないと思っていることは何でしょう?
本当に環境が整っていないだけができない理由なのかな?・・・と。

★ブログ(球魂)

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