2014年12月 アーカイブ

2014年12月30日 17時00分00秒 (Tue)

◆振り返る

この時期、静かに今年を振り返ることは大切なことです。

この歳になっても、出来ていない事ばかり。
ただ一つ、昨年末に立ちあげたこのHPが何とか1年間継続管理できたことは、ちょっと嬉しいこと。
そして、去った人をちょっと寂しく思い出し。
新しい年の健康を願う。

節制も中途半端なのに、勝手に健康を願う。
全ての基は「健康であるからこそ」なのだ。
さらに、「健康体で前向きであり得るか」なのだ。

もっとも前向きなだけの人間なんていないし、後ろ向きなだけの人間もいない。
誰だって、時に前を見ながら、時に後ろを振り返りながら、もちろん左右や上下を確認しながら生きていると思う。

本当に前向きに生きているときと、実は前向きな「振り」を無理して生きているときがあるかもしれません。
はたまた、自分で気づかないときには、前向きだと思って進んでいた方向が、前向きの「振り」の方向で、実は、後ろ向きだった、なんてこともあったかもしれません。

今の世の中、振りを勧めすぎているところがあるように感じます。
振りが悪いわけじゃないですが、それを勧めすぎて、大きな勘違いをし、ミスを積み重ねる事になるのは本意ではない。

正月元旦に今を改め、以前からチャレンジしたいことがあった事に気付く。
ユーキャンの習字通信講座?
毎朝のランニング?
ダイエット・・・
けれど、それには時間軸との根比べがある。
一朝一夕で、期待通りの結果がついてくるわけじゃない。
自分との闘いほど、厳しいものはない。

相手との競争・根比べなら、バンバンがむしゃらに進んでいこうという気持ちは大切。
…とは言っても、失敗や挫折を経験したら、ただ「大丈夫、大丈夫」って思い込んで進むんじゃなくて、どこに落とし穴があったか、くらいは振り返らないといけない。

「どうして落ちたんだ?」と結果で思いつめるんじゃなくて。
「どうして、穴が見えなかったのか?」とプロセスの課題(落ち度)が発見できると、それが今度は武器になると思います。

前向きへのヒントは実は、そこにあると私は思います。
折れた矢を、もう一度武器に作り上げる強い心を養う訓練が「前向き」へと繋がる。
そう信じています。
錆びた矢を、一年かけて砥ぎ出したいと思います。

健やかな新年をお迎え下さい。

2014年12月29日 23時00分55秒 (Mon)

◆体解に至れるか。

12月28日 納めの練習と掃除で一年の活動を終えた。

最後の「ミィーティング」で選手たちに3つのことを伝えました。
その日の、トレーニングからティーバッティング。
そして、感謝の掃除。

<一つ目>「なぜ叱られるのか?それは目標と現実(自分の心)の差」です。

質問しました。
自分の部屋がある選手は、ちゃんと掃除していますか?
掃除した後に、お母さんや家の方に美しく掃除できてないところを指摘されませんか?
「汚い」「ちゃんと掃除しなさい…と」言われることはありませんか?
そう聞くと、半数以上の選手が挙手した。
では、あまりやり直しを言われない選手は…?と聞くと、その半数約25%が挙手した。

掃除の仕上がり度が「目標」とすれば
掃除前の部屋の状態と自分の心が「現実」。

お母さんが目標にした「仕上がり完成度」と選手の「完成度」に差があるから、意識の高いお母さんから「汚い」「ちゃんと掃除しなさい…と」言われるのです。
その個人差が「目標レベルの差}「意識の差」となるのです。
目標レベルの差が大きいほど、一つのチーム単位で「何が何でも…」から「この程度で…」までの、選手間での意志のバラツキが出る。
これが「チーム一丸」を難しくする…実は目標と現実の差が、とんでもない「シラケ」を作り出す問題とのなるのだ。
高い目標を持つことと今までの自己採点基準(妥協点)を改めよう。
と、伝えました。

実は、職場の終礼で述べたことを翌々日のロビンズのミィーティングで応用したものです。
掃除の完成度を「仕事」に置き換えてください。
営業部であれば「売り上げ」、製造関係であれば「無駄の排除」・「完璧な商品」が目標です。
そのバラツキを減らすことで「収益」が増減すると言ってもよい。
ひと月の営業目標を高い所で設定し、それに臨む姿勢が大切で、妥協してしまう癖は「掃除…」のその話と同じなのである。

<二つ目>「作業時間の短縮」
キーワードは「面倒な事」「嫌な仕事」「しんどい仕事」はとっととやる!です。
早く、やり遂げ。
次の事のために時間を使う。
例えば、ティーバッティングで散らかったボールを「速やかに拾い」「限られた時間でライバルよりも一球でも多く打つ」ことを心がけよ!

<三つ目>「作業中にふざけて、同僚を愚弄するな!」
これも効率の悪さをもたらすとともに、同僚に対しての配慮が足らないこと。
背なかで尊敬される姿を、掃除などの現場で示せ!と!
厳しく糾弾し、さらにこの暮れの期間に一年の総括をする気持ちでに家で奉仕しなさいと…。
そして、自らの野球道具を磨いているときにしみじみ今年一年を振り返って、新年を迎えてほしい…、と。

今の子供たちに、暮れのこの期間に課される家の仕事は昔ほど無いことだろう。
仏壇磨き、神棚拭き、窓拭きなどなど、それに雪かき(除雪)。
昔人間の私たちは、自分(兄弟)がやるべきものと身体に染みついていた。

そんな身体が動いてしまう状態を「理解」から昇華する「解く」段階の中で「体解」するという。
他に、「知解」「情解」が人間の行動生理学上、分けられる。

「体解」…、私の大好きな言葉です。
訓練や行動を重ねていくうちに頭で考えなくても、体が動く。
例えば、折り紙。
折り鶴を1,000羽折れば、考えなくても折り紙はできるようになると。
また、車に乗った瞬間、シートベルトを締めてしまっている状態の事。
無意識のうちに身体が理解してる事。
それが、体解。

積み重ねていくことで、更に美しく仕上げる、早く作る工夫などが生まれる。そして、魂が入ることになる。
だから、千羽鶴として「願い」が込められることになるのかもしれない。
気持ちを込められるか…、一番、大切なことなのだろう。

2014年12月26日 19時51分14秒 (Fri)

◆今年の漢字!

12月12日(金)、今年の世相を「税」の一文字に託して、日本を代表する寺「清水寺」の森清範貫主が大きく揮毫された。
清水寺のご本尊・清水型十一面千手観音像に奉納する儀式の為の揮毫とのこと。
この儀式により、「税」に託された今年の世相が清められ、これから迎える新年が明るい年になることを願ってのことらしい。
その「税」に清めるという、宗教儀式が乗っかるのは・・・・・?。と考えてしまうが、それはそれで良いのでしょう。
私が清めて心や世相を改めるなら、今年は「偽」と言う文字を選ぶ。

すべてこの世は偽物だらけ
 佐村河内 守、現代のベートーヴェン騒動を初めとして、いろいろな偽物が出没し
た。
 信州では松本才教学園の教師偽物さわぎがあった。偽物でも授業内容はそんなに悪くなかったというので、モンピもあまり騒がなかった。
 震災ヴァイオリンの中沢宗幸も、製作しているところを誰も見たことがない、というので偽物ではないか、という説が囁かれている。
天皇と皇太子を騙したとすれば、世が世なら切腹ものの筈だ。
 芸能ニュースの偽物も多々あるが、映画ガレキとラジオで、不在の視聴者をでっちあげた「博報堂のスタッフ」と、数え上げたら切りがない。
 マレーシヤ航空の偽パスポート事件も怖い。スパイ説やらアルカイダ説が飛び交っている。
 ビットコインの倒産も、初めからなにも無いところから始まった架空取引だったのだから、ばれて当たり前、デジタル信者承知の上の偽物加担罪だろう。
 リケジョ小保方靖子の偽装論文は悲しい。
専門家がみればすぐ判る論文転用など、偽装になぜ手を染めたのか。
折角の美しいリケジョも、怪しい都市伝説で終わった。

清めたい・・・・、自らの心を。

2014年12月24日 11時04分16秒 (Wed)

◆X'masは何の日?

クリスマスに知ってほしいこと。
「私たちは決して一人ぼっちじゃない。」ということ。

家内の母親が田舎で一人で暮らしている。
若干の認知症もあり。
「誰も、私のことなんか振り向きもしない。」と、電話で涙すると聞く。
「ひとりぼっち・・・。」なんて思いながら生きていたら、やっぱり寂しいと思います。
多くの中にいても「俺なんて、存在感無いのかな?」なんて思い出したら、それこそ「寂しさのアリ地獄」に入ってしまう。
そこまではまる前に、ここは発想を逆転するしかない。

つまり、自分から関わっていく。
自分から多くの事、多くの人へ関心を向けていく。
たった一人にでもいい。
若いうちはできるわな~と言われそう。

若くても、なかなか出来ないが、そういうことが出来たら自分の寂しい気持ちをしばし忘れられるかもしれない。
加えて、ちょっと心が温かくなる。
自分のガラじゃない、なんて思うのであれば、じゃあ、隠れて行えばいいのだ。

新約聖書に、こう書いてあると聞きました。
「多くの人の心を察する・・・。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」と。
私は報いを考えなくてもいいと思います。
隠れたところから見てくれている存在を感じるだけでも、一人ぼっちじゃないことが、相手にも自分にも解るから。
寂しがりやの義母へは、新約聖書の言葉は伝わりにくい。
ならば、1分でも横にいてあげられる時間を家族で出し合う・・・・・。
正月にでも・・・、これしかないのです。

昨今、クリスマスを一人で過ごす人のことを若者たちは「クリぼっち」と呼んで蔑む。
大きなお世話である。
一人で過ごそうが、二人で過ごそうがカラスの勝手だ。
クリぼっちには、最近まで「フタリぼっち」の相手もいたハズだ。
約束のお泊りホテルが、彼女の不興をかって突然にクリぼっちになったのだ。
なかには昨今の彼女らの行動にあきれて、みずから批判的クリぼっちになっている男もいる。
あのバブル華やかなりし頃、誰言うとなくイヴは高級フランス料理をたべて、一流ホテルに泊まる。
プレゼントはティファニーのオープンハート、いったい誰が言い出したのか、どうせ知恵遅れの御曹司か、「ちょっと痛い」オネェチャンの戦略に違いない。

若者の「孤独のクリぼっち」には、孤独のクリぼっちなりの理屈がある。
仏教徒のお前らがなぜキリストの降誕祭をやるのか、意味がわからない。
これはもう古典的な論理になった。
はっきり言えるのは、クリスマスは神の日であって、恋人の日ではない。

しっかりまわりを見渡して、手を差し伸べる人・声をかけるべき人を再確認する日なのだと私は思う。
小さい頃に、家族8人で小さなケーキを切っていた「あの笑いと温かさ」から、貧乏でも頑張れる心を学んだのだ。

2014年12月16日 1時07分19秒 (Tue)

◆耕運孝と幸運孝

「耕す事から、幸せを運ぶ事が始まる」
ある米創りの名人がそのように言っていた。
その言葉から、人材育成のキーワードを見つけた。

①あせらず耕す-
  準備の大切さを知った。
②あせらず植える-
  希望の種を蒔くことを知った。
③あせらず話し合う-
  愛されてることを知った。
④あせらず肥料をやる-
  収穫するだけではなく帰還することを知った。
⑤あせらず水をやる-
  植物に水と日光と土が必要なように、
  人間にも生活のバランスが大切だと知った。
⑥あせらず余計な草を取る-
  取り除かないと育たないことを知った。
⑦あせらず見守る-
  我慢することを知った。
⑧あせらず祈る-
  一生懸命やれば素晴らしい収穫があることを
  知った。
⑨あせらず感謝する-
  謙虚な気持ちになることを知った。

農業でも、野球でも、家事でも、趣味でも、何度やっても、うまくいかないことに私たちは飽きてくる。
何をやっても無駄だと思ってしまう。
それでいて、それに対して何か試そうとする時には、結果がすぐに出ないと、イライラしてくる。
やっぱり、また同じだ…と。
あせる、あせる。
あせれば、それにゆっくり向き合う時間など、なくなってしまう。
向き合う時間がなくなれば、見えなくなるものも多くなる。
あせるから、見えなくなる。
見えなくなるから、うまくいかない。

うまくいかなければ、またあせる。
そして、また見えなくなる。
そんな悪循環に陥っては「幸」は運ばれない。

もし、同じ問題を解決しなければいけない仲間がいる時に、さらにあなたがそのリーダー(親・指導者)である時には、本質が見えない限り、
急がしてばかりいても、
あせってばかりいても、
怒ってばかりいても、何も進まない。
どんどん、どんどん、狭くて抜けきれない迷路にはまり込んでしまうこともあるかもしれない。

春はすぐ来る、「あせらず」今からでも出来る、あきらめかけていた事、忘れていた事の一つでも取り組む事が大切。一つでも耕せれば、春は楽しみでたまらない。
耕す事(改める事)から踏み出せば、幸せを運ぶ事が既に始まっているのだ。

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