2015年9月 アーカイブ

2015年9月28日 0時58分38秒 (Mon)

◆説得は人を遠ざける

◆説得は人を遠ざける『説得は人を遠ざけ、納得は人を近付ける』
私達は子供に物事の道理を教えるときに、納得させず、ただただ説得に終始してしまいがちです。
「こんなことしちゃダメじゃないか!」
「これはこういうものだから、こうしなさい!」
「それをしなかったらおやつはあげない!」などと、子供に何故それが悪いことであるのかを考えさせず、また脅しともとれる交換条件で“自分の言う事を聞かせる”ことになってしまいます。

それで子供は納得するはずがありません。
何故遊んではダメなのか?
何故欲しいものが手に入らないのか?
何故それが間違っているのか?何故?…
きっと親に対して“卑怯”だと思うのでしょう。(私も幼少の頃、よく思っていました…)

どれだけ自分の理論が正しいとしても、ただ単に押し付けになってはいけないと思うのです。
もちろん、親(特に父親)は恐い存在であって、保護者として子供の言動をマネジメントする義務と責任がありますので、何も教えず、好き勝手に何でもさせることが良いと勘違いしてもいけません。
時には強制力を持って対処することも必要です。
痛みをもって教える事もあるでしょう。

しかし、忘れてはならないことは、相手を“納得”させる努力をすることだと思います。
人は自我を持っていますので、それなりに自負というか自己判断があるはずです。
それに対して、権力や、否定や説得といったディベート術で相手を理屈で屈服させたとしても、心情では決して納得することがありません。

それよりも「これはこうじゃないかな?」「これについてどう思う?」などと質問して、相手に考える時間を与えてあげた方が良いと思います。
そしてそれでも意見が合わない場合に「じゃあ、一緒に考えよう」とあれこれ離合集散しながら、最後には共通の理解を探していけるのではないか?と思うのです。

つい、私は子供にしてもケンカ相手にしても、言葉や物の道理がわからないのだから、教えてやらないといけない…と自分の理屈で押し通そうとしてしまいます。
その結果、「言っていることは理解できる。だけどそれは理屈であって現実では通用しない。」などと反発や誤解、屁理屈の応戦、泣き寝入り…と何も解決せず堂々廻りにしかならないのです。

そこでもし、相手に「なるほど、そうか!」と言わせることができたとしたら、お互いにとって共通の理解が得られてそれが信頼になるのではないでしょうか。
ロビンズの「挨拶」する事への「謎解き」は「ファン創り」です。
挨拶をしなさいではなく、挨拶からファンになって頂き、力を頂こうという「納得」から励行されているのです。

2015年9月27日 23時44分48秒 (Sun)

◆捨てられる?

◆捨てられる?『嫌みを言われたり邪険にされたり、馬鹿にされたぐらいで減るプライドなら、ゴミに出してしまいなさい。』
『そんなものあっても役に立たないから。』・・・・・・・。

小野不由美の小説の中にあった言葉に、当時”イジイジ”していた自分が、一刀両断に叩き斬られ、目が覚めた事があった。
彼女の作品はホラー的な要素を強めた本格ミステリーや、山海経の伝説や妖怪の世界と併せて、中国古代史に範を取った重厚な世界観を表現する、十二国記シリーズなどがあり、私の中ではあまり得意ではないが1960年生まれ同い年と言う事で、気になる作家である。
読後に、心のざわつきが自戒の波となって、押し寄せてきた。

自分は、そんなにプライド高い方じゃないと思っていたのに、意外と高かったんだな、と気づかされる瞬間があります。
その一つが、自分を通さずに話が進んでいた時。
また、自分の評価が低く扱われている誤解。
選手時代は、人生の落日のように悲観した事もあったかも知れない。

それに類したもので言えば、自分ががんばっているのに、まわりがその同じことにがんばってくれない時。
どちらも、自分の存在がないがしろにされている感じだ。

自分が大切に思っていること。
自分という存在であったり。
自分が好きなことであったり。
そういうことについて、自分と同じように大切に思ってくれないと、自分が大切にされていない、配慮してもらえていない、という気分になる。

大切にされてもらえなくても気にしなければ、それで済むだろうが、そこにプライドがあるから自分が止まってしまう。
プライドのほとんどは、きっと捨ててもいいようなものが多い。

けれど「絶対に守るべきプライド」ほど、捨てていたりするから人の人生は崩れてくるんだろうなと、今この歳になって解る事ばかりだ。

2015年9月24日 22時29分31秒 (Thu)

◆財津いじめ。

◆財津いじめ。財津一郎さんを、ご存知ですか?
小さいころ、藤田まこと主演で軽妙洒脱なコントテレビ番組『てなもんや三度笠』が大好きだった。
財津さんは浪人・蛇口一角(へびぐち いっかく)役で出演、手を頭の後ろから回して反対側の耳をつかみ、甲高い声で叫ぶ「非っ常にキビシ~ッ!」、「~してチョウダィ!」のギャグや、抜いた刀の刃を蛇のように舐めまわす、といった奇怪な動きが評判となり、一世を風靡した。
その後は、「ピアノ売ってちょうだ~い!」のCMでも、知られた。

その彼が若い下積み時代にイジメにあっていたことを、ある記事で読んだ。

そして、悩んだ事、苦労した事をこの一言で結んでいた。
『人間は青春に、必ず何か忘れ物をする』であった。

こんな言葉を耳にすると、なんか、年をとるって素敵だなと思います。

財津さんのいじめ体験の記事には、恩師の言葉も綴られていた。
「いじめなんかに負けるな。いじめられてる人間こそ、それを乗り越えた時にさらに強くなれるんだ!」

青春に追い求めたものもあれば、追い求めるのを忘れて台無しになったものもある。

「する」ことができた体験に、すべての価値があるわけでなく、それ以外のすべての体験を「する」ことができなかったことにも、いろんな価値がある。
だから、忘れ物がないわけがない。

しかし、それを探してばかりもいられない。
それは青春の忘れ物に気をそらされてばかりいたら、「今」の忘れ物を増やすことになるから。

忘れ物は、忘れ物のままでいいかもしれない。
そう思うと、気を楽にして、年をとれるのかもしれません。

2015年9月23日 0時43分10秒 (Wed)

◆櫻のジャージ

◆櫻のジャージ櫻が花開いた!

無類のラグビー好きの小生にとっては、生涯そんな場面には出くわさないだろう事の一つであった。

ラグビー日本代表が、ワールドカップで、南アフリカを倒す。
果たして、そんなことが起こりうるのか。
南アフリカと言えば、世界に冠たる巨人国だ。

間違いないのは、それが本当に起こったという事実だけだった。

闘将・エディージョーンズはW杯本番へ向けて、地道に布石を打ってきた。
「南アに勝つ!」
今大会の組み合わせが決まって以降、日本代表のエディー・ジョーンズ・ヘッドコーチはそう繰り返してきた。

2014年5月にワールドカップの出場権を獲得してからは、「これ以降はすべての試合がワールドカップの準備になる」と公言。
目の前の試合で勝利を求めるのではなく、W杯で勝つための布石を打つだけだと発言し続けてきた。

スクラムとラインアウトの技術を上げるために、専属コーチを海外から招聘した。
就任以来、3年半のプロセスはこの一戦のためにあった。

日本のあらゆる奇襲で、受け身に回った南ア。
エディーHC率いる日本は、80分のすべてにわたって奇襲をかけ続けた。

対する南アは終始受け身に回っていた。自分たちは日本を相手にも油断していない。そんな思いが、どこか他人任せの空気を生んでいたように見えた。

29-29で迎えた72分、南アは目の前のPGを狙う安全策を選んだ。
(TV解説者は、チャンスですと、絶叫していた。)
その8分後、相手ゴール前でPKを得た日本は、南ア相手でも同点のPGを狙わず、逆転を求めて攻めた。

そして82分、途中出場でピッチに入ったばかりのWTBカーン・ヘスケスがインゴール左隅に突き刺さった。
ブライトンのコミュニティスタジアムを埋めた3万人の観衆が熱狂する。

「ワールドカップには勝ちに来たので、同点のPGを狙うという頭はなかった」とリーチ マイケル主将は言った。
世界ラグビー史上、いや、世界のスポーツ史上でも屈指のジャイアントキリングは、こうして完結したのだった。

計算されたセットプレーと技術の向上も、さることながら、「練習量」に裏打ちされた必然の勝利だ!

インゴールにダイブした瞬間、涙があふれた。
輝ける、櫻ジャージがうるんでいた。

2015年9月15日 0時06分44秒 (Tue)

◆藍より青し

◆藍より青し先般、卒団生がお母さんと一緒に練習会場を訪れてくれた。
約3年振り、身長は伸びたが、ガリ・ガリンチョ。
細いままのようだが、鋼のような強さを備えているように見えた。
京都の名門高校硬式野球部に入部し、努力した2年半。
幾多の試練を越え、多くを学び全体をまとめる「応援団長として3年生の夏を終えました」との、清々しい報告でした。
伸長以上に、野球を通じて人間として伸びたな~ぁと感じた。
その、聡明な目の輝きも迷いに迷っていたロビンズ時代と透明度が違っていた。
そして、人との関わりで得たもの、全力でやり遂げた達成感を十分に自分への自信にしているようであった。

アマチュアスポーツは実力優先と、少しの巡り合わせで、3年間の様々な関わり方を選手達にもたらす。
色々喋った。
懐かしい話もした。
将来は指導者を目指し、更に勉強しますと伝えてくれた。
頼もしい限りです。
頑張れよ!
良妻賢母の鏡、お母さんも立派だ!

・・・・・・・あぁ~しまった!!
一言、別れ際にお伝えしておけば良かったと思った・・・・。
荀子の言葉で・・・・
『青は藍より出でて、藍より青し』である。
意味・・・青は藍より出でて藍より青しとは、弟子が師匠の学識や技量を越えることのたとえ。
解説・・・「藍」とは、染料に使う藍草のことで、藍草で染めた布は藍草よりも鮮やかな青色となる。
その関係を弟子と師匠にあてはめて、弟子が師匠の学識や技術を越えるという意のことわざ。
学問や努力により持って生まれた資質を越えることができるということ。
「青は藍より出でて、藍より青し。氷は水これをなして、水より寒し」に基づくものである。

選手時代に苦労の多い分。
生涯で多くの方と関わった分。
自分に素直で真面目に生きていくと誓った分。
素晴しい指導者になれる、基礎はあるはずです。

自らを「師匠」と置いて、話を成り立たせていますが、私のような者の学識や技量は間違いなく「風化」の一途。
新たな、指導者の誕生に期待したい。

★ブログ(球魂)

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