2015年10月 アーカイブ

2015年10月29日 1時23分33秒 (Thu)

◆汚れちまった悲しみに

◆汚れちまった悲しみに前筆、室生犀星を思い出し書いた時に、何となく中原中也の「汚れっちまった悲しみに、今日も小雪の降りかかる・・・」が、頭の中でリフレインしてきた。
当然、文頭の触りだけしかでて来なかったので、帰宅し慌てて詩集を探し調べた。

汚れっちまった悲しみに  今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに  今日も風さへ吹きすぎる

汚れっちまった悲しみは  たとへば狐の皮衣
汚れっちまった悲しみは  小雪のかかってちぢこまる

汚れっちまった悲しみは  なにのぞむなくねがふなく
汚れっちまった悲しみは  倦怠のうちに死を夢む

汚れっちまった悲しみに  いたいたしくも怖気づき
汚れっちまった悲しみに  なすところもなく日は暮れる……

学生の頃から「汚れつちまつた悲しみに……」は、大変気になる作品であった。
何度読んでも最後のところで謎が残り、いったんはその謎を追求することを止めて、しばらく放っておくと、ふっと、あっ、これだ、なんて謎が解けたような瞬間があるので、また、思い出して読み返し、そうして、もう一度、読んでみると、こんどは、ほかの謎が浮かんできて……の繰り返しであった。

その難解さゆえに、中原中也が30歳で結核性脳膜炎により死去したが、偉大な夭折詩人であったという評価は今も変わらず、この一篇だけで、神の詩人と言う人もいる。
私には、難しくて解らないが、いつも気になっていたし、歳を重ねる毎に「汚れちまった悲しみ」と感じるものが不思議と変わっていった。

読者や評論家は、これを去っていった恋人・長谷川泰子と読む解釈と中原中也その人と読む解釈とが錯綜しています。
たとえ文法的に泰子の悲しみを歌ったものだとしても、泰子の悲しみを通じて、泰子の悲しみにかぶせるように、中也自身の悲しみを歌っていることは間違いない。

世間はそのように受け止めてきたし、詩人が「汚れっちまった悲しみ」と歌う時、それは彼のあらゆる個人的な事情を離れて「汚れっちまった悲しみ」として、一般として感じられるのである。

昨今の事件から、「汚れっちまった悲しみに・・・」ほどの、謎を秘めていない、ただただ「汚れちまった」奴らばかりが目立つ。
名門・読売巨人軍の将来あるスター候補選手達が手を染めた野球賭博、贈収賄、手抜きマンション、・・・汚れてしまった人の心を悲しみ、中原中也から自らに聖心を学ぶ時間があっても良いと思う。
詩中、汚れたものと反対にある「小雪」の白さをいつも思い出していたい。

2015年10月28日 1時13分30秒 (Wed)

◆ふるさとは遠きにありて

◆ふるさとは遠きにありて先週末に清秋の金沢を、かみさんと訪れた。
前日に母親の一周忌を終え、「ちょっとゆっくりしようか!」と翌早朝より散策した。
ひがし茶屋街を訪れる前に「泉鏡花記念館」の前を通ったが、開館前。
「残念!泉鏡花ってどんな作品書いてた・・・?」と、かみさん。
「”婦系図”とか、”義血侠血”やったかな?」
婦系図はお蔦・主税の純愛を描いた名場面「湯島の白梅」が有名。
母親は、小畑実の歌う「湯島の白梅」が好きでよく口ずさんでいた。
それは、横で聞いて覚えた歌・物語であった。
「よく、覚えてるね?」と、かみさん。
「年寄りのいる、家だったからね!」

さらに、歩きながら室生犀星の話になった。
金沢が生んだ明治から昭和の文壇で活躍した泉鏡花、徳田秋聲と室生犀星の三人は特別である。
三文豪は金沢を流れるふたつの川、浅野川と犀川のほとりで生まれ育った。
特に、犀星の詩句で心に残るのが抒情小曲集の「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」である。
田舎を離れた者が、ふるさとを思うにはこれ以上の詩句はなかった。
ほぼ忘れかけている詩に記憶を巡らせ、独り言のように、つぶやきながら歩いた。
もうふるさとには、母は居ない。
浅野川が、泪ににじんだ・・・。

<原文>・・・
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて 異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
(現代語訳)・・・
ふるさとは遠くにあって思うもの
そして悲しく歌うもの
例え
落ちぶれて 異土の乞食になったとしても
帰るところでは無いだろうなあ
ひとり都の夕暮れに
ふるさと思い涙ぐむ
その心をもって
遠いみやこに帰りたい
遠いみやこに帰りたい [犀星]

母からの無償の愛への感謝、今の家族への思いとを、かみさんと歩きながら噛み締めた。
母の、労多き足跡を追うように・・・。
白球を追っていたころ最大限の力添えをくれた、母に感謝。
田舎を離れるとき、人としての生き方を教えてくれた母に感謝。
・・・合掌。

2015年10月23日 1時14分54秒 (Fri)

◆Back to the Future

◆Back to the Future2015年10月21日。
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で主人公マーティやドクが訪れる「未来の日付」が現実のものになった。
映画公開当時、私は25歳。
55歳になる2015年なんて、想像もできなかった。

映画のストーリーはご周知の事と思いますが、オープニングから時空を超えたノッストップアクションが展開された。
1985年のカリフォルニア州ヒルバレーに住むロックとペプシコーラが大好きな高校生マーティ(マイケルJフォックス)は、科学者である親友のブラウン博士(通称ドク)を手伝って、深夜のショッピングモールの駐車場にて、スポーツタイプの乗用車デロリアンを改造してドクが開発したタイムマシンの実験をする。
実験は成功したが、ドクがタイムマシンの燃料であるプルトニウムを調達するために騙したリビアの過激派の襲来に遭い、ドクは機関銃で撃たれ倒れてしまう。
同じく命を狙われたマーティはとっさにタイムマシンに乗ってモールの駐車場内を逃走するが、シフトレバーを動かす際に肘で次元転移装置のスイッチを入れてしまった為、30年前の1955年にタイムスリップしてしまう・・・・・。
という、物語(シリーズ)は1885~2015年の計130年にわたりヒルバレーという一地域でタイムトラベルを繰り返していくのである。
・・・、スピリバーグの総指揮で製作されたこのシリーズは娯楽性をふんだんに盛り込み、将来の希望と過去への感謝を伝えたかったに違いない。

そして今、メディアで技術の進歩だけを取り上げ、劇中に登場した“未来”と今を比較するものが多くあった。
実現したものとして、ホバーボードやビデオ通話、ウェアラブル端末、ドローンによる犬の散歩……などが挙がっている。
反対に実現しなかったものは、二本ネクタイの流行や空飛ぶ車など。
話題を受けて、便利さだけを伝える希薄な関連報道に終始している事が残念である。
そこに心の豊かさや、人間らしさが備わったもので、未来の扉を開けたいものである。

くしくも、翌22日に2015年プロ野球ドラフト会議が開催され、将来にプロ野球を牽引する選手達が「くじ」で将来を決めさせられた。
1985年のドラフトは「清原・桑田」の年であった。
ドラフト会議の是非論を国会で議論されるほどの社会現象になった。
「ドラフト会議に将来はあるのか?」
「Will a draft meeting have the future?」
その30年後を見ると悲喜こもごもである。
彼らは、もう一度30年前に戻りたいと思うのであろうか?

しかし、「ロビンズの若い選手達よ」心配するな。
それはすなわち君達の未来はまだ決められていないということだ。
誰も知らない。
君の未来は君が決めるんだ。
未来は、今現在の君自身の取組みから変えられる。
そう、私は信じています。
希望を胸に、豊かな心と感謝の念を背負い、「努力と向上心の持久」を毎日刻むのです。

2015年10月19日 23時15分57秒 (Mon)

◆世阿弥をご存知?

◆世阿弥をご存知?世阿弥の著書『風姿花伝』に「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」という言葉がある。

『風姿花伝』は一般に『花伝書』として知られ、亡父観阿弥の遺訓にもとづく世阿弥最初の芸能論書で,能楽の聖典として連綿と読みつがれてきた、芸術表現論として今日も評価の高い論書である。
そこには、単なる芸能論にとどまらず、人生訓が散りばめられている。

“自分は正直な人間です”と、何も聞いてもいないのに自ら得々と自分を語る人に、正直な人はいません。
本当に正直な人は、自分の正直さに気付いていないものです。

また正直になりたいと思っている人も、正直でない自分をなんとかしたいと思っているので、“自分は正直な人間です”とは言わないはずです。
どんなものでも、頑張っていることには何かしら問題があり、それを克服せんという意識があるため、目標や問題点を言うならともかく、自ら「十分にやっている」とは言い切れないものです。

逆に、他人の話に聞かれもしないのに、勝手に割り込んで口出しすることもあります。

自分の勝手な価値観や思い込みを他人に押し付け、それが自分の価値を下げてしまい、ついには孤独になってしまう…。
私も気をつけないといけないと思いながらも、ついついしてしまい後悔することがあります。

「他人は間違い・自分は正しい」として相手を論破することばかり考えず、ひとりよがりでない、きちんとした自分なりの哲学を早く身に付け、世阿弥に学びたいです

2015年10月15日 22時48分34秒 (Thu)

◆投手・イチロー

◆投手・イチロー野球評論家の張本勲が「喝だぁ! イチローのチームの監督!」と日曜日の番組で叫んだらしい。
「アメリカの野球のレベルも落ちた」とも吠えた。

10月4日(日本時間5日)、大リーグ、マイアミ・マーリンズのイチロー選手がまさかの「投手」としてマウンドに立った一件だ。
「バラエティーじゃないんですよ、お客さんはお金払って見に来てくれてるんだから」
「41歳でしょ、ほかのピッチャーにも失礼ですよ」
「イチローのファンでもあれは楽しくないんですよ。まだ若い時ならね、球が速いからいいけど」と文句を連発。
ツイッターではさっそく、
「イチローが投げたっていいじゃないか! 張本は頭が硬すぎる」
「いい加減、張本さんは昭和の野球を引きずるのを止めて欲しい」
「お客さんも楽しそうやったしただの消化試合みるより全然ええやろ」
と張本さんへの「ブーイング」が相次いだ。

その19年前に同じことがあった。
1996年7月21日に開催されたプロ野球のオールスターゲーム第2戦である。
前年、日本一に輝いたヤクルトの野村克也監督が全セを率い、パ・リーグを制覇したオリックスの仰木彬監督が全パを率いた。
第2戦は投手・イチロー 対 打者・高津臣吾の勝負が実現することになった。
4点を追う全セが9回裏2死で迎える打者が巨人の主砲・松井秀喜という場面で仰木監督がファンサービスにと野手・イチローを登板させた。
これに対して全セ野村監督が侮蔑行為だといわんばかりに自軍の投手・高津を代打に送った。
結果はイチローの勝利に終わり試合が終了。
この出来事は『オールスターはファンのための祭典』だとしてイチロー登板を肯定する派と『オールスターは投手と野手の真剣勝負の場』だとしてイチロー登板を否定する派にわかれ、大きな論争になった。
球界をはじめ世間にも波紋を広げたものの、この出来事は名勝負としての呼び声も高く、今なお語り継がれている。

私はこの場面を演出と見るか、狂言と見るかで価値観が変わるとみていた。

イチロー選手と松井選手が対戦しようがしまいが関係無いのです。
イチロー選手がマウンドに上がった時点で、すでにお客さんは満足なのです。
つまり、特別なことがおきればそれがどうころぼうがお客さんとしては楽しいのです。
普通はありえないことがおきると、どうなるんだろう、どうなるんだろう、とわくわくするのです。

また、登板後のイチロー選手の、『はらわたにえくりかえる』発言もイチロー選手のパフォーマンスだったのです。

かたや、ペナントレースの公式戦、2000年5月13日神戸でのオリックス戦で、そのイチローにワンバウンドの球をヒットにされた投手がいた。
鳥羽高校から、三菱自工京都を経て、ロッテの投手となった後藤利幸さん。
今、我々と同じカテゴリー中学軟式野球の指導をされている。
シャイで穏やかな淀タイガースの監督である。
ご縁は、有難いものです。

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