2017年1月 アーカイブ

2017年1月30日 22時18分13秒 (Mon)

◆挨拶しよう、心配りを探そう

◆挨拶しよう、心配りを探そう「こんにちは」「こんにちは」細いあぜ道で行き交った小学生が声を掛けてくれたことを、感動的に覚えている。
あわてて返事を返す「こんにちは」。
今から19年前、長野オリンピックも前の年、北信と呼ばれる長野・小布施・須坂のあちこちに飛びまわっていたころ、子供達は、無邪気な笑顔を投げかけてくれた。
醸し出す温かさに癒され、オリンピックが来る期待感のきらきら光る笑顔に励まされた。
子供たちの何気ない挨拶の言葉は、形式的な村長や社長の挨拶よりずつと嬉しかった。
そして、私自身笑顔になった。

先般、神戸に「挨拶禁止マンション」があると報じられた。
身元不明の他人にあいさつの言葉をかけるなんて、危険きわまりない。子供達を危険にさらすようなものだ。
だからマンション構内はもとより近所でも知らない人に挨拶してはいけない、というお触れなのだ。

この報道に接し、世も末と思った。
そんなに人を疑って生きて、面白いのか。
挨拶禁止を主張したママたちには血が通っていないのではないか。
世間には貴女たちより素晴らしい人々がいっぱいいる、そうした人々を否定するほど貴女は偉いのか。
人は人に支えられて生きてゐる、という社会そのものの否定につながる愚行以外のなにものでないと考える。

はたまた、不衛生だから餅つき大会は止めろ、とか、除夜の鐘はうるさいから止めろ、花火大会ほど危険なものはない、火事になったらだれが責任をとる、人間にゆとりが無くなったのか、それともオバカになったのか、アメリカ型の訴訟社会に毒されてなんでもかんでも訴える、とてもいやな国になってしまったのか。
日本人よ、どこへ行くのか?

さてまた先般、大阪のクラブチーム大会で今年もホストチームに両日お世話になった。
2日目、河川敷で弁当をご用意いただいた。
試合後、みんなで頂く。
「選手は早く食べろ!」・・・それは配慮。
ひとり少し離れ試合観戦。
振り返り食事されてる、みんなのところへ戻ると、一つの弁当と冷めたみそ汁が段ボールに入っていた。

ああ・・・、凍るような孤独を感じた。
過剰な配慮はいらばいが、「飯だよ」の声かけすらも・・・。
「ねぇ、スタッフさん!・・・寂しいな。」

状況に凍り付くも、その場で声を荒げないのも「配慮」。
・・・みんなの飯がまずくなりますね。
まだ、人間力の足りない自分磨きの為の「戒め」。
全ては「生きる美学の為に・・・」です。

しかし、些細なことですが涙も出ないほどの、孤独とはこのこと。

辛いことの経験は、決して人にしない!
ましてや、子供達へは論外。
だから、挨拶と些細なことの心配りが「笑顔」を作ると信じ努めたい。

2017年1月26日 23時10分06秒 (Thu)

◆雪の五箇山

◆雪の五箇山雪が積もると故郷を思い出す。
私のふるさとは、数年前に町村合併のおまけで「世界遺産」のある市になってしまった。
合掌作りで有名な五箇山がある。
何年か前、同級生の運転で訪ねたことがあったが、その時はまだ秘境の雰囲気を漂よわせていた。
合掌作りの民家民宿に宿をとり、囲炉裏を囲んで古老の話をきき、山女魚の焼けた香ばしさに幸せいっぱいの旅だった。
先般、大雪を心配して実姉に電話したところ、世界遺産の看板と共に、すっかり単なる観光地になってしまったと、嘆いていた。
彼女にとっては、平村と呼ばれていた時代に小学校校長として初めて赴任した思い入れの大きな村であった。

その雪に覆われた秘境の谷間には、中国人が溢れていたとのこと。
中国の人々にとって、この五箇山がどんな歴史を生きてきたかは全く関係なく、日本の昔の貧しい村落風景位の興味なのかもしれない。
自撮り棒とけたたましい声と不作法の限りのありさまだったとか。
お蔭であちこちが制限だらけとなり、マイカー観光も不可能となったらしい。

「平村」と呼ばれることもあり、平家の落人との言い伝えがあるこの豪雪地帯の人々のすべてが、室町末期には浄土真宗の門徒となり、助け合って生きてきた秘境の文化には頭が下がる。
南の白川郷と続く、秘境と呼ばれた集落の旧家の片隅に残された小さな阿弥陀如来に、救いを求めた過酷な自然と宿命がこめられている。
60度の急勾配の屋根裏での養蚕と、カイコの糞を捏ねて、密かに造った煙硝の陰にどれだけの苦労があったかと思うと慄然とする。
信長に逆らった石山本願寺の秘密基地として、他言無用の厳しい掟のもと、何百年ものあいだ歴史から隠れて火薬づくりを営んできたここの人々の暮らしを考えた時、簡単に観光地と呼んでいいものかどうか、自らを問い質してしまう。

あっそうだ!
高校の先輩で五箇山・平村出身の野原裕康さんはお元気だろうか?
高岡で一人、下宿されていた。
見た目は怖かったが、雪が降るときのように静かで、心は純朴で「真っ白」な方でした。
幼いころからの地域に根差す尊い教えが、その姿に映っていた。

2017年1月21日 22時01分18秒 (Sat)

◆人並みとは

選手に「頑張れ」という限りは、自分も頑張る。 選手に「全力ですか」と尋ねる前に自分の仕事は全力で当たる。 選手は「人並み」の覚悟では、磨かれません。 スタッフは「人並み」程の心構えでは、面白くありません。 育成会は「人並み」が最良です。 「人並み(当たり前)な基準」を揃える事が大切です。 それぞれに多忙、仕事、家庭環境などあります。 「人並み」=「温度」。 「人並み」ある意味、人を波に乗せる「人波」もある。 温度差なく嫉妬せず愚痴らず、楽しく、支え合い、選手の新しい発見とチームの成長を感受できるかが大切です。 身体にたとえて、選手は「心臓」。スタッフは「脳」。育成会は「血液」。 人並みな健康体が活動の支えです。 合言葉…!「全ては子供達のために…」です!

2017年1月17日 19時00分41秒 (Tue)

◆距離を置いて

有害な人間は、ものの道理とは無縁だ。自分が周囲にどれほど悪影響を及ぼしているか気づかないおめでたいタイプもいれば、周りを混乱させたり他人を怒らせたりすることに歓びを見いだすタイプもいる。 自分とは異なる人々との付き合い方を学ぶことは大切だが、本当の意味で有害な人に時間とエネルギーを割く価値はないし、彼らはじつに多くの時間とエネルギーを浪費させる。 有害な人は物事を不必要に複雑にし、争いを生み出し、そしてなによりもストレスを招く。 もっとも、どういう人が有害なのかがわからなければ、彼らから距離を置くこともできない。 ちょっとイライラさせられたり、単につき合いにくかったりする人々と、真に有害な人間とを区別する必要がある。 我々自身が有害な人間にならないためにも、是が非でも距離を置かなければならない有害な人々がこの世には存在しており、彼らは以下の10のタイプに分けられる。 1. 噂話に目がない人 「偉人は考えを論じ、凡人は出来事について話し、つまらない人間は噂話をする」――エレノア・ルーズベルト 噂話をしたがる人は、他人の不幸に歓びを見いだす。他人の私生活や仕事上の失敗をのぞき見るのは、最初のうちこそ楽しいかもしれないが、やがて飽きて嫌な気分になり、他人も傷つける。この世には有意義なことがたくさんあるし、素晴らしい人々から学ぶべきことも山ほどある。 他人の不幸を話題にするのは時間の無駄だ。 2. 気分屋 感情をまったくコントロールできない人がいるものだ。 そういう人は、あなたに感情をぶつけ、自分の思いをあなたに投影し、あなたのせいで気分が悪くなったと考える。 感情をコントロールできない人を見捨てるのは容易ではない。 なぜなら、彼らが感情的になっているのを見ると、気の毒になるからだ。 それでも、彼らはいざとなったらあなたを感情のはけ口として利用するのだから、なにがなんでも避けるべきである。 3. 犠牲者になりたがる人 犠牲者を見分けるのはむずかしい。 最初は彼らの問題に同情してしまうからだ。 それでも、時間が経つにつれて、彼らは常に「困っている」ことに気づく。 犠牲者になりたがる人は、ほんの小さな障害を、超えることのできない巨大な山と見なすことによって、責任を回避する。 困難な状況を、学んだり、成長したりする機会と捉えるのではなく、言い訳の機会にするのだ。 「痛みを避けることは不可能だが、苦しむかどうかは選択の問題だ」という金言がある。 これは、犠牲者になりたがる人の有害性を見事に言い表した言葉だ。 犠牲者になりたがる人は、苦しむことを毎回選択している。 4. 自分のことしか眼中にない人 自分のことしか眼中にない人は、他者から距離を置いて感情を動かさないことによって、あなたを落ち込ませる。 自分のことしか眼中にない人と一緒にいると、やがて一人ぼっちになったように感じ始める。 そんなふうに感じるのは、彼らにとっては、他人と真の絆を築くことになんの意味もないからだ。 あなたは彼らをいい気分にさせる道具でしかない。 5. 嫉み屋 嫉み屋にとっては、隣の芝は常に青い。 素晴らしいことが自分の身に起きても、彼らは満足しない。 自分の中に満足感を見つけるべきなのに、自分の幸運を世間の幸運と比較するために、けっして満足できないのだ。 自分よりもうまくやっている人間は、真剣に探せば、かならず見つかるのだから。 嫉み屋と長い時間一緒にいることは危険だ。 いずれあなたは自分の業績を、取るに足らないものと感じるようになるだろう。 6. 他人を利用する人 他人を利用する人は、友情の名のもとで、あなたの時間とエネルギーを吸い取ってしまう。 彼らは友人のように接してくるために、扱いにくい。 あなたがなにを好み、どんなことに幸せを感じ、なにを面白がるか、彼らは知っている。 ただし、彼らはその情報を、自分の目的を達成するために利用する。 他人を利用する人は、常にあなたからなにかを手に入れようとしている。 あなたから奪ってばかりで、与えることはほとんどしない。 あなたから絞り取るために、どんな手段を講じてでも、あなたを味方につけようとする。 7. ディメンター J・K・ローリングの『ハリー・ポッター』シリーズに登場するディメンターは、人の魂を体から吸い取って抜け殻にしてしまう。 ディメンターが部屋に入ると、その部屋は暗くなり、人は寒気を覚え、忌まわしい記憶が甦る。 ローリングは、飛び抜けてマイナス思考の人々――その人が部屋に入ってくるだけで、部屋から精気が抜けてしまう――からディメンターの着想を得たと言っている。 ディメンターは、自身のマイナス思考と悲観主義を、出会う人みんなに押しつけることによって、その場から精気を吸い取ってしまう。 彼らは常に物事を悪いほうに解釈し、無害な状況に際しても恐怖心と不安を植えつける。 ノートルダム大学の研究によると、マイナス思考のルームメイトと同部屋になった学生は、そうでない学生と同部屋になった場合よりもはるかにマイナス思考になりやすく、鬱状態に陥ることすらあったという。 8. 悪意に満ちた人 有害な人の中には、他人の痛みや悲しみに深い満足感を覚えるタイプの、悪意に満ちた人々がいる。 彼らは故意にあなたを傷つけようとしたり、嫌な気持ちにさせたり、あなたからなにかを手に入れようとしたりする。 そして、そうでない時には、あなたに対してなんの興味も示さない。 このタイプの唯一の美点は、すぐに見分けがつくために、あなたの人生からすみやかに追い出せることだ。 9. 批判したがる人 批判したがる人は、なにが評価に値し、なにが値しないかを、いちいち指摘する。情熱の対象をあなたから奪い取り、あなたを惨めな気持ちにさせる。 批判したがる人は、自分とは異なる他人の価値を認めて学ぼうとするのではなく、他人を見下す。 なにかに情熱を燃やして思いを表現したいという、あなたの欲求を捻り潰す。 だから批判したがる人とは縁を切って、自分自身でいたほうがいい。 10. 威張りたがる人 威張りたがる人は、あなたのすることを、ことごとく自分に対する挑戦と見なす。 だから、彼らとつき合うのは時間の無駄だ。 尊大さは自信の証明ではなく、不安を覆い隠す仮面にすぎない。 アクロン大学の研究によると、尊大さは職場においてさまざまな問題を引き起こすという。 威張りたがる人はパフォーマンスに劣り、気むずかしく、平均的な人よりも認知能力に多くの問題を抱えている。 有害な人を見つけたら、いかにしてわが身を守るか 一緒に仕事をしていたり、一緒に暮らしたりしていれば、状況をコントロールするのは不可能だと感じる人が多いが、それは違う。 有害な人を特定できさえすれば、次第に彼らの行動を予測できるようになり、理解しやすくなる。 そうなれば、いつ、どういう状況でなら我慢し、いつどういう状況でなら我慢する必要がないかを、論理的に考えることができるようになる。 境界線を引けるようになるのだ。ただし、意識的に、能動的にやらなければならない。自然の流れに任せたりすれば、厄介な会話にしょっちゅう引きずり込まれる羽目になるだろう。 しっかり境界線を引き、いつ、どういう状況で、むずかしい相手に対処するかを決めてしまえば、混乱のかなりの部分を収めることができる。 大切なのは、相手が境界線を踏み越えようとした時には妥協せず、あくまで境界線を守り続けることだ。 相手はかならずや境界線を越えてこようとするだろうから。

2017年1月16日 22時34分08秒 (Mon)

◆あぁ・・・白鵬

◆あぁ・・・白鵬WBCが始まる。
メジャーリーガー達は、球団の承認を得られず日の丸を背負えない状況がニュースで伝わる。
最近、なにかと国籍問題が姦しい。
内閣総理大臣になる可能性のある野党第一党の党首が、日本人なのか、台湾人なのか、よくワカラナイのはとても困る。
国民の生命、財産を守る仕事とする総理大臣の国籍があいまいなままでは大変に困るのだ。
ぬるま湯で育った近頃の日本人は、グローバルな教育のおかげで、そんなのどっちでもいいじゃんと、寛大なのだが、ひとたび紛争が起きれば、生きるも、死ぬも、国籍次第という場合もある。

もう一つの国籍問題は横綱白鵬だ。
2017年正月、初場所だからしゃべろう。
優勝回数37回大相撲史上最強と言われながらも、横綱白鵬の帰化問題がすっきりしない。

引退後も年寄になって部屋をもちたい。
通算勝ち星で、歴代一位になれば当然協会に、モンゴル国籍のまま、一代年寄をみとめてほしい、というのだが協会は「年寄名跡の襲名は、日本国籍を有する者に限る」と規則を盾にいい返事をしない。
白鵬自身も以前の会見では「日本国籍を取得して親方になりたい」といっていたのだが、いつの間にか前言をひるがえした。
故郷モンゴルの父親がモンゴル国籍をすてることに絶対反対だとか。
日本人の嫁も認めず紗代子夫人との結婚の折も、白鵬は父親に紹介しなかった。
そうした前後の事情をわきまえれば、当然のごとく帰化して部屋持ちの親方へと転じたらいいのだが、まわりに焚き付ける困った人間がいるようだ。

相撲をサッカーやバスケットと同じスポーツと考えている。
国から莫大な助成を貰い、神事としての側面を持つ、大相撲の認識にとぼしいのだ。
勝ちさえすればなんでもいいという娯楽スポーツとごちゃまぜにしている。
リング上の格闘技とは全く違うのが大相撲なのだ。
協会は入門するときだけではなく、関取に昇進するときにもういちど「相撲の祭祀性、もしくは相撲民俗学」を徹底的に教育すべきだろう。
困ったときの外人頼みでは、何時までもこうした問題が続くだろう。
相撲には、日本人が大切にしてきた「美学」がある・・・とはいえ、国際社会への文化流布と協調も大切な役目なのだが・・・。

★ブログ(球魂)

1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031

アーカイブ

2026年
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
QRコード
携帯用QRコード
アクセス数
ページビュー数