2018年2月 アーカイブ

2018年2月28日 23時38分55秒 (Wed)

◆いやな話。

◆いやな話。人の感情ほど「熱しやすく冷めやすい」「好意が悪意に」移り気なものは無い。
大会中は、「頑張れ!、可愛い!」と何でも有りのミーハーのノリで黄色い声での
声援が、帰国会見後いきなりのバッシングの嵐へと変わってきた。
選手たちは、みんなが総じて「感謝」を伝えた。

しかし、その次の日から、挨拶が偉そうだ!
コメントに内容が無い!
おやつタイムに、なんでネールお直しなの?
まるでタレント気分?
などなど・・・出てくるは、出てくるは・・・・・。

あれだけ腹の底から応援していたにもか関わらず、みんなのヒーローとしてひな壇に上がったとたん、非難に回る、
何故そうなるのか理解に苦しむ。
独占欲の反動?
目立つとダメなの?
ヒーローを何故ダークヒーローに変えてしまう? 

また一国の副総理が、「金を出して、外国からコーチを招聘してくれば勝てる」。
メダルの数は投資力だとまで言ってしまった。
どいつも、こいつもこの国民の「民度」の低さにはうんざりする。
時を同じくして、マラソン男子の日本新記録が更新され、1億円の報奨金に「やっぱり金か?!」などと、ほざく輩はその1億の投資にも、2時間6分前半で走ることもしない、無責任傍観者でしかない。

我々のクラブ運営の現場でも度々あった。
「ロビンズが大好きです・・・、しかし」
「あそこが理解できない・・・、」
「うちの子は・・・、」
有ること無いことの叩かれた続けてきた私は、メダルの一個も持っていない。
1億相当の投資は出来るはずも無く、その変わりに出した汗の量は自分しか分からない。
結局、人の心をつかむことができたか否かを自問自答の10年だったのかな。
 

2018年2月25日 0時30分02秒 (Sun)

◆強い? そだね~。

◆強い? そだね~。平昌五輪が生んだ流行語は、間違いなくカーリング日本代表女子チームLS北見の「そだね~」だ!
五輪初の準決勝では、韓国に惜敗した翌日24日に格上の英国相手に粘りに粘って、相手のミスを呼び込み5-3で悲願の銅メダルを獲得した。
終始ポジティブなコミニュケーションが常に前を向いていたその姿に歓喜の瞬間に涙があふれた。
となりで、愚妻も涙していた。
「強かったよ~!」

チームの起こりは2010年7月、2006年トリノと2010年バンクーバー五輪に元「チーム青森」で出場した常呂町出身の本橋麻里が、関係者と共に、新しい環境の元常呂町出身者5名とともに結成した。
チーム名LSはロコ・ソラーレデ、由来は、「ローカル」と、「常呂っ子」から「ロコ」+イタリア語で太陽を意味する「ソラーレ」である。

「より速く、より高く、より強く」というオリンピックのモットーは、オリンピック・ムーブメントに所属するすべての者へのIOCからのメッセージであり、オリンピック精神に基いて研鑽することを呼びかけたものであるが、このカーリング競技の迫力度からするとそのモットーのどれも内在するのかが見えにくい競技のように映っていた。
しかし、「より強く」がプレッシャーを差すなら、これほどデリケートな技術と脳と身体のコントロールを要求されるチーム競技は他には見当たらないと観た。

8年前チームを起こした本橋麻里選手は、当時その美貌からマスコミに踊らされ、日を追うごとに「勘違い選手」としていろいろ揶揄されていた。
しかし地元へ帰り、カーリングを見つめなおし、8年目でメダル(結果)をもたらした。
そのチームマネージメント力は素晴らしく、継続力はカーリングのトップ選手で培ったプレッシャーへの打破そのものだったのではないかと想像する。
今回から控えに回ってメンバーを支え、GMとしてチームを築いた彼女にこそ「より強く」の言葉が映える。

ロビンズ創部は2008年。LS北見より2年古い。
10年間持続してきた「全ては子供たちのために・・・」のモットーだけでは、足らなかったのか?


2018年2月24日 20時37分11秒 (Sat)

◆親の人柄が映る

◆親の人柄が映る平昌五輪の顔となったのは、間違いなく「羽生結弦」と「小平奈緒」ではなかろうか。
この二人にみる人柄と、内在するスポーツとの距離は実に素晴らしかった。
自己顕示欲のかたまりのような選手が圧倒的に多いなかで、この二人の謙虚さには清々しさを覚えた。
いままでの大会で、メタルをかじったり、テレビカメラに向かってヴイ・サインをしたり、スポーツ選手のふるまいにはうんざりしていたが、今回はちがった。
ようやく大人のボンサンスを身につけた選手がでてきたという思いだ。

決して表にでない両親、祖母、叔母たち皆が「頑張っているのは本人です。親がしゃしゃりでて話すことはなにもありません」かって当然のようにそうであった家族の考え方が何時の間にか、家族みんなでというファミリー主義に対して、羽生結弦の両親は見事にくつがえしてくれた。
ネットではいかにも東北人気質などといっているが、第二次世界大戦にまけるまでは、東京下町の家庭でさえ、息子の合格やスポーツ記録に親が出てきてシタリ顔をさらすことはなかった。
子供は子供、親は親という個の確立ができていた。
中学校の入学や東大の入学式に親がチャラチャラと出てくるようなことはなかったのだ。
「自分の敵は自分です。僕は羽生結弦以上でもなければ、それ以下でもありません」
中学校の教員である父も母も東北大震災で家を失い、仮設住宅暮らしから家賃5万円のつましい借家にうつり、金メダル後はマスコミが殺到するので、ようやく市内のマンションに移ったという生活態度からも、人柄の謙虚さが伝わってくる。
マスコミのインタビュー後に羽生が放った「スイマセン、この国旗を持っていてください!」の、日本の国旗を下においてはならない、という彼の意識に一瞬意味の分からなかった女子アナがいたというから困ったことだ。

小平菜緒も父から「人から簡単に教わるのではなく、大切なことは自分で発見しなさい」「見て、考えて、自分のものにする、それが基本だ」としばしば言われたといっているが、この親にしてこの子ありということだろう。
三人姉妹の末っ子とあれば、イージーに流れそうだが、そうした教育環境のなかから鬼かわいい「怒った猫」が生まれた。
銀に沈んだ韓国のアスリートに声をかけ、二人で抱き合って喜んだ姿が忘れられない。

2018年2月12日 7時52分35秒 (Mon)

◆採点競技とは…

◆採点競技とは…冬季オリンピックは美しい。
スキー会場へ行けば白銀のコース。見上げれば純白の雪をいただいた山々。
青空とのコントラストは感動をよぶ。
スケートリンクの銀盤には上品さがあり、ジャンプ台やボブスレー会場にはスリリングで美しい洗練がある。
美しい白銀と青空に囲まれておこなわれる冬季オリンピック。
会場や環境ばかりではない。
冬季大会では競技・種目に“美”を追求する競技、つまり採点競技が多いのである。
フィギュアスケートを筆頭に、スキーにもスノーボードにもあるハーフパイプ。
フリースタイルスキーのエアリアルも同様だ。
モーグルもタイムが基準の1つになっているものの、ターンとエアはジャッジの評価による。
スノーボードのスロープスタイルも近い。
スキージャンプは飛距離がもちろん重要ではあるが、飛型・着地姿勢がジャッジによって採点される。
ノルディック複合もジャンプとクロスカントリースキーで構成されるため、採点の要素が加わることになる。
採点競技では、技や姿勢などの“美しさ”が評価され点数を与えられるため、演技はおのずと美しいものとなるのだが、じつは「スポーツの美しさ」は採点競技だけにあるのではないと私は思う。

陸上100mを走る選手の躍動する肉体、サッカーのフリーキックでゴールに吸い込まれるときのボールが描く放物線、柔道で大技が決まるときに相手が宙を舞う姿、野球のピッチャーが投げるときのフォームやみごとに落ちるボールの軌道、競泳バタフライの体のしなりと力強いキック、バレーボールの強烈なスパイク、バスケットボールで瞬時に行うレッグスルー、目にも止まらぬ剣道の出ばな面、卓球のチキータで不思議な曲がり方をするボールの軌道…。

あらゆるスポーツに、美は存在している。
美しいから、かっこいいから、という理由でスポーツをはじめる子どもたちも多い。
スポーツが美しいことは多くの人が認めるところである。

そこで考えてみたい。
はたしてスポーツは「芸術」なのだろうか?

かつて「スポーツは芸術か否か?」という論争があった。
人間の行う偉大な自己表現(=スポーツ)が美しいのであればそれは芸術であり、その意味で「スポーツ=芸術」であると唱えた学者がいた。
しかし、芸術が美を意図して・・・・創作・表現されるのに対して、スポーツは勝つ、得点する、記録を縮める、という目的を達成するため、意図せずに・・・・・美しさが現れることから、「スポーツは芸術ではない」と日本の学者は唱える。
つまり、スポーツは美しくあろうとして美を追求するのではなく、あくまで勝利を求めて行われ、美の出現はあくまでも結果であるため、芸術とは区別されるべきである、ということである。

陸上100mを走る選手の躍動する肉体が美しいからといって、彼らは美しい肉体をつくろうとしてそうなったわけではなく、100m走のタイムをいかに縮めるかを追求し激しいトレーニングを積み重ねた結果、たまたま美しい肉体ができあがったのだ。
スポーツの“目的”は「勝つ」ことであって「美をつくる」ことにあるのではない。
そこが芸術との決定的な相違点なのである。
こうした議論のすえ、現在は「スポーツは芸術ではない」が定説となっている。

冬季五輪の「華」、フィギュアスケートではタイムや距離、格闘技のような1対1での勝敗を競うことは一切ない。
ジャッジは、選手が実行した各要素を、基礎点、回転数、レベル、GOE(できばえ点)などの合計となる「技術点」と、動作、振りつけ、スキルなどによる「演技構成点」の合計で点数(得点)をはじき出し、その得点の高い選手が上位にくる。
「美」を数値化することによって、順位を決める仕組みである。
さらに、2014年ソチオリンピックのスキージャンプ男子ラージヒルで、葛西紀明がカミル・ストッフ(ポーランド)とほんのわずかな差で2位になった。これは飛型点による差だった。「美」の数値が、葛西のほうが少しだけ低かったのだ。ジャンプでは、飛距離に加えて美しい飛型と着地姿勢が求められるのである。
そうしてみると、スポーツのなかでも採点競技に限っては「美しいこと」を目的としているため、“芸術”であると考えてよいのであろうか。
はたしてフィギュアスケートの選手は「美」を目的として競技を行っているのかどうか、考えてみたい。
フィギュアのジャンプは6種類ある。
点数(難易度)が低いほうから、トウループ、サルコウ、ループ、フリップ、ルッツ、アクセルとなる。
たとえば同じ4回転の場合、トウループの基礎点が10.3であるのに対してフリップでは12.3と2点もの差がある。
誰しも得点が高いに越したことはないので、跳べるものなら難易度が高いジャンプを跳びたいと考える。
また、ジャンプは前半に跳ぶより疲労が激しくなる後半に跳んだほうが、得点は高くなる。
したがって、選手によっては後半にジャンプを多めにする場合がある。

ところが、このような「難易度の高いジャンプを跳ぶ」ことや、「後半にジャンプを跳ぶ」ということは、「美」に直結するわけではないのである。
美しく演技するためなら、あえてバランスを崩しやすいような難しいジャンプを跳ぶことはない。
半回転多いアクセルを除けば、多くの観客はジャンプの種類を判別できないのだ。
また、なにも疲れている後半に跳ばなくてもいい。
つまり、難易度や疲労と戦うことは、「美」を追求しているのではなく、あくまでジャッジから高い点を得るためなのである。美しく演技する採点競技といえども、オリンピック競技における選手の目的はあくまで勝つことにつきる。フィギュアスケートにおいても「美」は最終目的ではないのである。
やはり、「スポーツ=芸術」と言えるかは大きな違和感が残る。

最後に1994年ノルウェー・リレハンメル五輪のような会場の美しい風景や姿を楽しみにしていた私にとっては、今回の人工的な会場は大変寂しい思いがする。
それは、アジアとヨーロッパ(北欧)の自然背景の違いだけなのか?
採点競技も、そんな印象がないことを祈る。

2018年2月10日 15時00分43秒 (Sat)

◆五輪開会式の楽しみ

◆五輪開会式の楽しみ北朝鮮の突然の共同参加やロシアの薬物問題などを抱え、平昌五輪が始まり開会式を鑑賞した。
競技の熱戦とはまた違う楽しみがある。
一つ目の楽しみは各国のユニフォームである。
機能性と国旗を意識した制約の中のカラーコディネートと美意識、さらにモードを導くファッションセンスが凝縮されている。
イタリヤやフランスなどは楽しみだが、今回もリオ五輪でもテコンドー競技に出場し旗手も務めたトンガ選手の上半身裸身の民族衣装にはすべての話題を持っていかれた。
さて、JAPANはコンセプト“PROUD OF JAPAN(日本を、誇れ)”を基に、メーンカラーには朝日が昇る力強さをイメージした鮮やかな“サンライズ レッド”、サブカラーには海のような深い青“ジャパン シー ブルー”だと、提供したアシックス語る。
サンライズって、あんなに「ピンク」だったかな?
もう一つの楽しみは、オリンピック讃歌の歌唱です。
今回は韓国宮廷衣装に身を包んだソプラノ歌手ファン・スミがギリシャ語で凍るような夜空を貫いていた。
讃歌や大会歌などが大好きな小生には鳥肌もので、なかなか良かった。

作詞はコスティス・パラマス、作曲はスピロ・サマラスによるもので、オリンピックが近代に復活するにあたり、1896年アテネオリンピック開会式において演奏された。
しかしその後、楽譜が消失したなどの理由でこの曲は忘れ去られていたが、1956年コルチナ・ダンペッツオ冬季オリンピック・1956年メルボルン夏季オリンピックから開閉会式に復活演奏するようになった。
さて、その美しく長編の楽曲の歌詞をご案内しておこう・・・まるでギリシャ古典か聖書の如くでるある。
・・・<歌詞>・・・
古代の不滅の魂よ
オリンピックの精神よ
永遠に護り給うものよ
こなたへ降り立ち 姿を現わし給え

あなたの黄金の光を
大地と大空に輝き 放ち給え
我々の誠を讃えたまえ
あなたの栄光をもって

溢れる光をもって
山と谷をあまねく照らし
誇りをもって 闘う者を祝福し
新たな精神を与えたまえ

月桂樹の美しい葉を添えて
栄冠を授けよ
高貴な戦いに勝利した
彼の体と精神に 王冠を授けよ

今日 この地を祝福したまえ
誇り高い不滅の魂よ
山の頂のかがり火に包まれた
古代の神殿に 私たちは向かう

そこにある偉大な力は
この地上のすべてを護り給う
この神殿は全ての人に分け与えられる
聖なる不滅の精神よ

今日 全ての人々に力を与えたまえ
今日 全ての人々に力を与えたまえ

古代の聖なる魂のために
この地上の全てを誉め讃えよ

聖なる魂が永遠に 健やかなるように
誉め讃えよ






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