2020年5月 アーカイブ

2020年5月28日 19時45分27秒 (Thu)

◆手紙書きました。

◆手紙書きました。「ことばが見当たらない。」ではすまなかった。
高校3年生ロビンズ8期生に手紙を書き、昨日投函した。

何の慰めにもならないかもしれないが、「永遠の応援団長」としては文字に変えても伝えたかった。
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◯◯◯◯様
前略 卒団以来、皆さんの高校三年生でのそれぞれの活躍を拝見できることを楽しみにしてきました。

しかし、このコロナ禍で高校総体の中止に続き、高校野球選手権大会の中止が発表され、当事者の皆さんの落胆・追念を思うと言葉が見当たりません。
ロビンズ卒団以来、「永遠の応援団長」として楽しみにしていた私も、無念でなりません。
高校生活ではロビンズ時代以上に、一生に一度の晴れ舞台をめざし取り組んだ姿は、ご両親・球友・監督さんらにしっかり刻まれています。
積み上げてきたことは誠であり、間違いなくあなたの宝なのです。
人生には、苦難・困難はつきものですが避けて通りたいものです。
「難が有るから有難い、無難な人生は人としての成長は無い」と人生訓で言われます。
ただ今回は、災難・禍難です。
避けたかった、避けれるように努力してきたはずだが、間に合わなかった訳です。
理不尽ですが、更なる成長を求められているのかもしれません。

そして中止に対して、さまざまな「賛成」「反対」の意見はあると思います。
では、現実的に「高校総体・高校野球選手権大会」開催は可能だったのか?
それは、元経験者として現状では「無理」と断言できます。
ただ「速い球を投げる」「本塁打を打つ」だけが野球(他競技も)ではないからです。
なんの慰めにもなりませんが、八期生の皆さんに声を掛けたい一心でしたためました。

ロビンズでの皆さんの「凛とした」後ろ姿は今でもすがすがしく記憶しています。
大きな落し物になった高校三年生の集大成を忘れることなく、前向きな励みとして
これからは新たな目標を設定し、歩んでください。
大きく息を吸って、少し休んで・・・・・。
また会おう。顔を見せに来てください。敬具

 令和二年五月二七日  大津ロビンズ
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今、無力な私にできることは、これぐらいです。
これもまた無力。

2020年5月20日 23時02分52秒 (Wed)

◆嗚呼、甲子園

2020年5月20日
第102回全国高校野球選手権大会の中止が決まった。

ことばが見当たらない。

2020年5月18日 0時46分22秒 (Mon)

◆高校野球は特別?

◆高校野球は特別?ニッカンスポーツの野球コラム「野球手帳」に下記の文があった。
【東京アマチュア野球担当=古川真弥】
夏の甲子園が開催されるか取材する日々で考えてきた。特に、4月26日に全国高校総合体育大会(インターハイ)が中止となって以降、甲子園も中止すべきという文脈で「野球だけ特別扱いするな」との声が非常に大きくなった。
高野連と高体連は別組織だとか、規模も歴史も違うだとか、語り尽くされている。特別かはともかく、取材を重ねて気がついたのは、高校野球の当事者からは「野球は特別だ」という声は聞かなかったということだ。
心の中までは分からないが、少なくとも、私が接した指導者や選手で口にする人は皆無だった。

全日本野球協会(BFJ)の山中正竹会長(73)は「『野球は特別だ』と野球人が言っちゃいけない」と力説する。
過去には、特別扱いで当然と振る舞う野球人もいたという。
だが、コロナ禍の中、山中会長の耳にも、そういう人は聞こえてこなかった。
「野球人口の減少が問題になっているけど、質も問われないといけない。指導者が分かってきたのでは!?」。
プロ野球の開幕延期に、相次ぐアマチュア大会中止。
無念極まりない事態において、心励まされる気付きだった。

高校野球が特別かどうかは、やる人よりも、むしろ見る人の問題のように思う。

盛夏の2週間は、上京した人間には故郷を思い出す時間でもある。
その喪失感がある。
だから、私にとって高校野球は特別だといえる。
当事者、特に3年生の無念は、どれほどか。
せめて、寄り添う記事を書きたい。
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と、綴った。

私においても、選手権大会は「望郷」以外の何物でもない。
地方の田舎者が都会に出てきて、生きてきた。
地方の球児が勝ち上がり、「甲子園」という舞台で勝負する。

私にとっての夏の選手権は「特別」である。
開会式を観るだけで、胸が熱くなるものがそこにあるから。
勝負で流す涙は明日への励みとなるが、無念という波だけは流させたくはない。
「健康を第一に!」と、「特別感の無い」逃げ腰の大人が判断するのはいかがなものか。


2020年5月12日 19時35分40秒 (Tue)

◆テレワークの悲劇

◆テレワークの悲劇テレワーク、テレワークと画面上でデータ通信したり、学習したりすることがさも正しいことのように喧伝されている。
いかがなものか?
テレワークなどというものは、人間から人間性を奪い、人間の可能性を拒否する悪魔の学習、または悪魔のコミュニケーションと心得るべきだと思う。
いまは武漢コロナという緊急時だから、「とりあえずテレワークで我慢しよう」というスタンスでなければならない。

今回の世界的パンデミックで経済的な利益をえたのは、GAFAといわれるアメリカIT企業にほかならない。
アップル、アマゾン・コム、グーグル、フェイスブック、の全社が新型コロナウィルス感染拡大の悪影響をしのぎ、感染防止のために自宅ですごす人々の「巣ごもり消費」で圧倒的に売上高を伸ばし、全社増収を記録した。
コロナウィルスの感染実態から利益をえたのは、中国の細菌戦参謀本部と世界のネット市場を支配するGAFAと呼ばれるIT産業にほかならない。
経済までやられて出口がみえないと騒いでいる反面、しめしめとばかり札束を数えている産業もあるということである。

教育についても、近所付き合いも、みなテレワークで充分と考えるような風潮が出てきそうな予感がする。
厳につつしむべきではないだろうか。

ロビンズにおいても、「YouTubeの動画で体幹を鍛えてください」というのは、画像は単なるツールであって、そこから「さらに頑張ろう」という向上心や「一緒に積み上げていこう」という心を通わせるコミュニケーションツールにはならない。
感情を押し殺したり発散したり、チームメイトの呼吸で思いを図ったりする、生のキャッチボールがあって成長してゆくもの。

「テレワーク」そんなものに頼っていたら結局人間の魅力を見失い、ロボットのいうように暮らすつまらない社会に堕ちてしまうだろうと感じながら、「在宅勤務」をしている自分がいる。
Zoomを利用した打合せや会議で映し出され、段々ふやけていく己の顔をまじまじと見つめる日々が続く。

コロナ憎き!せっかく春までに4キロ痩せたのに!

2020年5月7日 0時15分31秒 (Thu)

◆鯉のぼり

◆鯉のぼり今年の端午の節句に鯉が泳がなかった。
毎年、子供たちの健やかな成長を願って真野川・天神川の河川を埋め尽くす、勇壮な鯉のぼりは「自粛」の呪文により上げられなかった。

誕生日が5月4日の小生にとっての5月5日は、「誕生日」と「こどもの日」の祝いを兼ねた、晩飯のカレーライスが最大の楽しみだった。

故郷富山では、田舎だから小さいころは5月5日には当然、大きな鯉のぼりは上がっていた。
この家に大切な跡取りの「男の子がいますよ~。」と、知らせているようでもあった。
愛する我が子が鯉のように逞しく、激しく流れ落ちる滝を登り、龍のように天を登っていくように、祈りを込めた。

黒い真鯉は父と冬を、赤い緋鯉は母と夏を、青い稚鯉は春と成長を願って、風をのんで大空に浮かぶ景色は五月の空そのものだった。
吹流しは家の魔除けになるのだと、早逝した父が言っていた。

それぞれの家庭が祈りを込め掲げた「鯉のぼり」。
かってのよき日本の風景がどんどんなくなって行く今。
河川を遡上するように、掲げられる「鯉のぼり」は地域力の証しである。
大切にしたいイベントである。

このコロナ自粛でテレビでは家庭に閉じ込められた子供たちに、マスクの作り方やら手洗いの仕方やら一生懸命に教えているが、鯉のぼりの意味や作り方など教えてこの国の五月の空をとりもどすほうが、よほど素晴らしいと思うのは私だけかもしれない。
ああ、鯉のぼりの上がった五月の青空を見たい。

五月の青空のもとで、野球少年と白球を追いたい。

★ブログ(球魂)

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