2021年7月 アーカイブ
2021年7月20日 18時00分07秒 (Tue)
◆勝てばいいのか?
18日、日曜日の晩に帰宅したら家内が怒っていた。・・・・・・「ついに野球ばかりで愛想がつきたか!?」と。
いやいや大相撲名古屋場所・千秋楽の全勝相星決戦、白鵬と照ノ富士の取組を観た彼女は、白鵬の「汚さと品の無さ」に怒り心頭であったのだ。
私はその一部始終をニュースで観て、嫌な気分に襲われた。
これは大相撲ではない、田舎の草相撲にも劣る、とんでもないプロスポーツだと感じた。
千秋楽の大一番では、横綱がいきなり強烈な右エルボーをくりだした。
そして左右のビンタである。ある意味プロレスよりもひどい取口だ。
瞬間思った。
即座に審判は止めるべきだった。
伝統的な国技にあんな取口は許されていない。
勝ちさえすればなんでもあり、という喧嘩相撲なのだ。
勝負が決まった後の、過剰なガッツポーズも神事に根差した相撲の哲学からほど遠い。
横綱の品格云々というのが、メディアの口調はその日の白鵬の優勝に「さすが白鵬」の賛辞ばかり、いかにメディアが腐っているかの證明だった。
前日の十四日目の対正代戦にも驚いた。
正代が両手をついて仕切や否や、いきなり横綱は特俵までさがって手をつき立ち合った。
正代は正式の立ち合いの間合を計って戦略を練っていたに違いないのだが、横綱がいきなり徳俵まで後退して仕切るなど思いも及ばなかっただろう。
その後は正代の横面を張っての浴びせ倒しである。これまた不愉快極まりない取口であった。
相撲解説者の元横綱・北の富士さんは「まったく愛想が尽きた」といつもは軽妙なコラムで厳しく問うた。
以上の二番を観ただけでも、まったく伝統的な大相撲ではなかった。
ましてや国技などと到底いえるものではない。
横綱審議委員会は直ちに白鵬にたいして引退を勧告すへきだし、一代親方の特例も認めるべきでないと本当に思う。
野球の世界でも、相手を敬うことを教えとし・試合に向かう選手や監督、関係者の姿勢が人を作り、多くのファンに支えられると信じているものとしては、競技は違えど残念な勝者の姿としてまた多くを学んだ気がする。
謙虚ほど、精神美学を現せるものはない。
・・・・・と信じている。
2021年7月19日 18時00分36秒 (Mon)
◆もてなせない五輪
開幕まで2週間の土壇場で東京オリンピック(五輪)の無観客開催が決まった。競技と協議、観戦と感染…。
しかし、直前になれば、さすがに競技と観戦に集中できるものと思っていた。
史上初の延期決定から1年4カ月。
プロ野球やJリーグ、専門家の知見を元に有観客を模索してきた組織委の準備は何だったんだ。
そう思うしかない政治判断の結末だった。
13年9月7日、五輪の東京招致決定。
セールスワードは「お・も・て・な・し」だった。
直観的に思ったのは「家内や家族と見に行きたい!」だった。
しかし、狙った競技のチケット抽選は残念ながら全滅だった。
五輪を生で見られるかもしれない淡い期待は泡と消え、テレビ観戦を覚悟した。
開催は、命や健康に勝るものかと言われれば…。
スポーツバカの私には、競技に向かう世界中のトップアスリートの美しい姿と迫力を観たいだけだが、ただただ準備力が低く、前例のない「不安」「不信」「不快」な五輪が開催されるとこには複雑な気持ちだ。
無観客を受け、同事業も中止となり虚無感が日本中に漂う、チケット保有者も聖火リレー走者もボランティアの方々も純粋な運営関係者も同じ気持ちだろう。
開催前の時点では失ったものばかり目立つ。
運動会や修学旅行や夏フェスを断念した不満が五輪へ向き、人心が離れた。
特別な身体能力で非日常をもたらす選手が特別扱いと批判され「アスリートファースト」と言えなくなった。
福島は無観客となり、有観客を貫く宮城には抗議が殺到。
「復興五輪」が形骸化した。
共生にかじを切った英国は、実証実験でサッカー欧州選手権決勝(ロンドン)に6万人を集めたが「ウィズコロナ」が聞かれなくなった日本では無観客になった。
今日で先行開幕まで4日間。
全く祝祭感が高まってこない。
日本人が好きだった(私が好きだった)五輪は、日本人が誇る我慢が試される大会になった。
こうなったら「いざ始まれば日本人は盛り上がる」という定説がどうなるのか、逆風で迎える大会が変わるのか、史上初の無観客開催は成功するのか確認し、見届けたい。
「おもてなし」ができない五輪。
過剰な接待五輪は不要になっていくのだと期待したい。
曲がり角の五輪。
負債五輪となるのは間違いない。
Jリーグやプロ野球が有観客で、五輪だけ無観客は違和感があるとずっと思っている。
期間中は選手の躍動で沸くだろうが、閉幕後、愛される五輪は帰ってくるのか。
スポーツの力が試される。
そして、この困難な状況の時でも挑み続ける選手たちと開催を成功に向けて努力されている関係者には心から応援したい。
頑張れ、スポーツよ!
2021年7月11日 20時03分01秒 (Sun)
◆家康の遺訓に学ぶ
1週間見れなかった「晴天を衝け!」を録画で観て、今週版もリアルタイムで楽しんだ。渋沢篤太夫(栄一)は第15代将軍となった慶喜と二条城で対面し、弟の昭武(民部光子)を紹介されパリ万国博への随行の勅命を受ける。
久しぶりに会った慶喜と二人きりで話し、いずれ将軍を昭武に継がせたいという意思を聞くこととなり、劇中に「大権現(家康)の遺訓」をともに唱える場面が心を衝いた。
勝事(かつこと)ばかり知りて、負くることを知らざれば害その身にいたる。
己を責めて人を責むるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
栄一は言った、「人の一生とはなんと摩訶(まか)不思議なことでございましょう。上様と大権現様(家康)のご遺訓を唱えることがかなうとは。」と。
遠き道、苦も多くあろうが、弟を頼んだぞと慶喜は伝えた。
<大権現・遺訓>
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。
こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
<意味>
人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。
急いではいけない。
不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
我慢することが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。
……………と残した。
この歳になって解ることばかり。
染みるわぁ・・・・。
ロビンズ選手にはまだまだ「何の話?」でしようね。
2021年7月10日 17時27分51秒 (Sat)
◆全力だった!?
全力疾走人は、100メートルを全力疾走できても、一生その状態で走り続けられるわけではない。
一瞬だから全力で走れるのであって、その間に寝たり食べたりする必要があるし、学びの経験や心の潤いも育まないといけない。
人生で観ると自分がちゃんと生きていないかもしれないと感じる時には、全力で生きてる人を見ると、なんとなく焦りが生まれ、時間が取り返せない思いを感じたりします。
朝から晩まで全力疾走は出来ないけれど、1日のうち数時間でも、自分も全力疾走できたら、焦ることも、ねたむこともなくなると思う。
今日の私の全力は「グランド整備(水取り)」と決めていた。
全ては子供たちのために・・・。
そして、ロビンズの歓喜のために・・・対戦相手よりも野球の神様に守られたい思うこともある。
マウンドの整備中に神様が見守ってくれていると思える結果もあった。
試合の中でも、応援団の熱い思いが、神様と握手した場面もあった。
でも、最後要素は選手が握っている。
いろいろなことは、終わって解る。
残酷な場面にも遭遇する。
それが現実である。
一瞬一瞬の積み重ね(時間)を全力でやっていたかを、謙虚に思い返すことがこれからの人生に大切な要素となるはず。
[全力]を辞書で引くと・・・「出せる限りの力」とある。
全力の要素の中でも、一瞬の力を発揮するものとして「開き直り」がある。
実力以上のものを引き出す要素が「開き直り」である。
「俺の球を打ってみろ!」
「どんな格好でもくらいついてやる!」といった、闘志の絞り出しも勝負には大切な要素であることを忘れてはいけない。
私は思います。
そこに全力があれば「丸(◯)」。
全力の積み重ねで勝利を手にできてば「二重丸(◎)」。
上の大会に出場できれば「花丸」!
ロビンズ選手たちには、今日の全力を人生の糧にと、心から願う。
闘志に拍手!
涙に心震える!
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