2021年9月 アーカイブ

2021年9月26日 16時49分45秒 (Sun)

◆嗚呼,アスリートよ

◆嗚呼,アスリートよこんな話題を「ロビンズ・ブログ」にはどうかなとずっと悩んでいたが、東京2020で驚いたことを書いておこうと思う。
何とアスリートたちの刺青の多いこと。
不幸にして行動制限、無観客だったため町中でのトラブルは避けられたが、あの刺青選手たちが野放しで町に出掛けたら、温泉やらサウナやら、スーパー銭湯など多くのオモテナシ施設が困惑していたことだろう。
戦後、進駐軍(GHQ)が刺青を許可したにもかかわらず、日本の社会では刺青は市民権を得ていなかった。 
タツー(tattoo)は刺青とは違うとか、ファッションだとか言い張る一部の人はいるが、そんな言訳は通用しない。
現に刺青者は公務員や自衛官にはなりにくいし、教員としてもふさわしくない。
全日本柔道連盟では出場禁止だし、相撲協会も刺青禁止をうちだしている。

古墳時代から鯨面埴輪など存在したし、海の仕事に関わる人は、海難を避ける呪術として入れた。
また個体識別の目的で刺青をしてきた。
阿弥陀様を身体に彫った山岳仏教、経文を身体に彫った「耳なし芳一」の例もあるが、江戸幕府は犯罪人の識別に入れ墨刑を課したし、遊郭では遊女が馴染み客への誓いとして、恋する人の名前を彫ったといわれている。

明治維新により、刺青は全面的に禁止された。
博徒、火消し、鳶、飛脚などにあった刺青の文化は否定され、わずかに谷崎潤一郎の「刺青」や江戸川乱歩の「黒蜥蜴」などに装飾として登場していた記憶がある。
美学(絵画・芸術)を学んだが、「刺青」をアートと考えたことも無く、学問としても無縁のものである。

アメリカやヨーロッパにおいても知識階級や上流階級においては、無論刺青は歓迎されていない。
おおむね喜んで刺青をいれているのは、芸能ヤクザか、反社予備軍か、に限られる。
スポーツ選手、しかも「トップアスリート」達がどのような思いで彫るのか理解に苦しむが、刺青の氾濫は歓迎すべきことではないのは確かである。

プロ野球の外国人の中にも「二の腕」に黒いだけの「墨」を入れて、バットを握る姿がTVに映し出されるが、せいぜい長袖かサポーターで隠してほしいと願う。
まったく、美しくないのである。

2021年9月14日 20時58分43秒 (Tue)

◆妙慶さんのお話

◆妙慶さんのお話京都新聞のコラムに真宗大谷派僧侶・川村 妙慶さんの「暖流」がある。
毎週火曜日に拝読し、その説法じみた宗教色を消した文章は「ホッと」し「ハッと」なり、「暖かい流れ」を感じる。
読後、子どもたちを預かる責任から、胸に手を当てた。
信頼関係を得られる姿で活動できているか・・・?
手抜きなく、一生懸命か・・・?

今朝は「言うことを聞いてくれない」との題でした。
―――――抜粋―――――
「何度同じことを言わせるの」と、高齢の親、または子に叱っても、「言うことを聞いてもらえない」という悩みを抱える人は多いでしょう。
残念ながら、言うことを聞かない人は「変わる気がない」のです。
なぜなら「変わらなければならない理由がない」からです。
つまり今の状態に危機感が持てないからでしょう。

また人間は、誰が注意をするかを見極めています。
尊敬できない人から注意されると自我の心で反発します。
尊敬できる人に言われると「私の気持ちを理解してくれる」という安心感で、心が柔軟になり、素直にもなれるのでしょう。
・・<中略>・・
「親子関係」は対等ではありません。
対等という意識で見ると、相手の間違いを正義感から注意をすることもあるでしょう。

しかし、親は親になるまでに流してきた涙があり、子どもは親にはわからない悩みを抱えて生きているのです。
大切なのは人と人が「畏敬の念」を抱いていけるのかでしょう。
われわれは、自然界に生かされた有限な存在なのです。
畏れ多くの気持ちで、一人一人の存在を敬っていけるのかが問われるようです。
・・<中略>・・
人は変えられません。
間違いにそっと気が付いていただくきっかけづくりができたらいいですね。


2021年9月13日 0時30分20秒 (Mon)

◆カナカナもの悲しく

◆カナカナもの悲しく一昨夕、仰木の里に住まいする、娘の家に孫を訪ねた。
目的は家内からのミッションで「煮込みハンバーグ」を届けたいとのこと。
シャワーもそこそこに・・・・・・・。

仰木の山里には秋がきている。
この夏の、豪雨を耐えて耐えて羽化したのだろう、カナカナが鳴いている。
子供のころはカナカナ蝉と教えられたが、歳を重ねてヒグラシとなつた。
山あいの薄暗いところからヒグラシが誘ってくるようだ。

漢字のヒグラシ……「蜩」はあまり好きになれない。
カメムシ科に属すると聞いて、やはりと納得した。
蜩の文字にはたくらみごとを感じる。
秋をつげているような声のうしろに台風が待ち構えているようでもある。
涼しさを装って、もの悲しさがやってくる。

はっと、思った。
自主トレに励んでいるだろう(期待を込めて)、選手たちはそんな虫の音をどう聞いているのかな・・・と。

走りこんでいる時には、なかなか聞こえないが、自分の足音と共調する虫の音に「ふと」立ち止まって聞いた昔を思い出した。
今は、昔ほどうるさいくらいの虫の音は生活の中から消えてしまったが、季節の風情を聞き分ける心のゆとりと鋭敏な感性も「野球人」として持ち得てほしいところである。
試合の中でも、ちょっとした仕草や相手の動き方・声から、次のプレーのヒントが隠れていたりするものだ。
五感から感じること・気付き・感受性・先見性はアスリートであればしっかり磨いてほしいと思う。

しかし、ヒグラシが告げる夏の終わりは何とももの悲しい。

ヒグラシで思い出した。高浜虚子の一句。
「……人の世の 悲し悲しと 蜩が……。 

努力しておかないと、悲しい悲しい(カナカナしい)現実が待っているのか・・・・・自戒でつぶされそう(笑)。

2021年9月10日 17時57分28秒 (Fri)

◆努力は当たり前

◆努力は当たり前数年前のロビンズ選手に「あなたの当たり前は何ですか?」と質問したことがあった。
みんな”キョトン”としていた。
考えたこともなかったのか、支えてもらっていることで「当たり前のようにしていただいていること」を聞いた。
野球活動でいう「弁当」「洗濯」「送迎」「応援」などが出た。

ではプレーヤーとして「当たり前のこと」と聞くと、素振り・ランニング・筋トレなどと答えた。
私は伝えた「選手時代の当たり前は努力だ」と。
それも「進化する努力だ!」と。

年始の書初めのように、一念発起は誰でもする。
自分で決めた程度の努力までならみんなする。
そこでやめたらドングリの背比べで終わりなんだ。
一歩抜きん出るには努力の上に「辛抱」という柱を立て、努力を進化させる。
その柱が天を衝くような風景が見えてくる。
結果、花が咲く。

自分の限界を超えようとしない、生半可な努力を進化する努力と呼ばない。
少しぐらい努力しているから、すぐにいいことが起こるわけじゃない。
みんながみんな、努力している時には、特にそうだ。

このコロナ禍の中で辛抱・自粛・自主トレでが今後の成長に白黒をつけてしまうのは、目に見えている。
みんなと同じ程度ではダメなのだ。

覚悟の野球にあなたの当たり前は見えていますか?
何故、頑張ろうというかは、一生に一度の中学野球だからだ!

2021年9月4日 15時32分47秒 (Sat)

◆見たことのないもの

◆見たことのないもの東京パラリンピック第11日は3日、東京アクアティクスセンターで競泳男子100メートルバタフライ(視覚障害S11)決勝が行われ、4大会連続出場の木村敬一選手が金メダルを獲得した。
レース後、「すごい幸せです」と語った木村選手は、先天性の疾患により2歳で両目の視力を失った。
残された能力を最大限に生かし、泳ぎ続ける姿で多くの人たちに希望を届けてきた。
私には、心に響いた。
滋賀県栗東市出身ということで、様々なメディアで紹介される度に注視し、気になっていた。

木村選手は「ものを見た記憶がない」という。
全盲選手の大半は、人生の途中で進行性の病気が判明したり、不慮の事故で視力を失ったりしてから障害者スポーツを始める。
その場合は、健常者としての競技経験の「残像」があるが、木村選手は生まれながらにして・・・「無」からのスタートだ。
だが「見えないことを疑問に感じたこともなかったし、怖いと思ったこともない」と話す。
紹介VTRなどで観たが、自転車に乗り、スキーもこなした。
小学4年で水泳を始めると、同学年には負けたくないと夢中になった。
誰かが泳ぐ姿を見たことがなく、手本はなかったが豊富な練習量で独自の泳法を築いた。

高校3年で初出場した2008年北京パラリンピックで3種目で入賞し、12年ロンドン大会ではメダル2個(銀、銅)を獲得。
16年リオデジャネイロ大会は日本のエースとして臨んで4個のメダルを獲得したが、最も輝く色はなかった。

東京では「何が何でも金メダル」。
この5年間はそう言い続け、「金メダルが取れる練習」を積み上げてきた。
新型コロナウイルスの感染拡大で大会は1年延期となり、開催が危ぶまれる中「世界一を決める舞台を夢見ることぐらいはいいんじゃないか。追いかけ続けることに変わりはない」と語ってきた。

決勝の大一番。
力強く両腕を回し、中盤で抜け出すと一気に泳ぎ切った。
レース後は大粒の涙を流し、5年間を振り返った。「この日のために、頑張ってきた。特にこの1年間は、いろいろなことがあった。この日は来ないんじゃないか、と思ったこともあった。それもしょうがないことだと思っていたけど、ちゃんと迎えることができた」と。

彼がレース後に放った言葉、「金メダルを取るための世界一の練習をしてきた!」は、本当に染みた。
自分の泳ぎの姿も見たことがない。(・・・・・本人はむちゃくちゃな泳ぎしかできませんけどと謙虚に語った。)
ライバル選手の泳ぎも見たことがない。
プールがどんなものか、水が無色であることも、50mの距離感も見たことがない。
視覚的イメージがないのである。

恥ずかしながら、生業としてきた「絵画」や「デザイン」見えなければ成り立たない。
取り組む野球も、見えてこそ初めて動き出し、考える。
視覚的イメージが生命線なのである。

彼に贈る言葉は簡単には見つからないが、見て学べる「野球」に努力を注がない事が恥ずかしい。
「金メダルを取るための世界一の練習!」、もう一度自分を見つめ直す機会を頂いた。
一緒に頑張ろうロビンズ!

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