2022年2月 アーカイブ
2022年2月22日 8時57分36秒 (Tue)
◆かき揚げを高梨沙羅に
北京冬季五輪が終わり、次はパラリンピック。3月を迎え、花粉の季節がくると、何故か「かき揚げ」が食べたくなる。
今から30余年前、大きな新作発表会とファッションショーを終え、当時の美容界の重鎮・名和好子先生とファッションデザイナーの重鎮・中村乃武夫先生に、銀座八丁目新橋近くの江戸前天ぷら屋「橋善」に連れていって頂いた。
天保の頃から続く有名な「かき揚げ丼」は高温のゴマ油でカラリと揚げ、秘伝のタレをかけた「チカラ飯」である。
若さにまかせ「特盛」をいただき、その食べっぷりを「健啖家!」と褒めていただき、仕事の労を労っていただき明日からのパワーが湧いてきたことを思い出した。
橋善のかき揚げはとにかく大きく、丼からはみ出さんばかり。見事に積みあがった巨大なものだった。
現在は「天ぷら橋善」は「橋善ビル」となって、そばの屋台から始まり天ぷら屋として江戸の名物となった「老舗」は2020年に閉店したと聞く。
魚介も野菜もかき混ぜて、ゴマ風味豊かで無骨で繊細な「かき揚げ」は、私の中では「橋善」を超えたものはその後お目にかかったことはない。
芝浦沖の芝海老に小柱を混ぜ、玉葱、人参、三つ葉など入ったかき揚げは、天ぷらの王将だと思う。
最後の将軍徳川慶喜は立派な鍋島焼の皿に、「大きなかき揚げ」を並べ天ぷらを楽しんでいたと伝えられている。
江戸には、もう一つ好きな天丼屋「浅草・大黒屋」があり、その大振りのエビ天とかき揚げ丼も醍醐味がある。
滋賀には美味しい「天ぷら屋」がない。
京都の天ぷらも美味しいが、お上品すぎて迫力がない。
あの背の高い立派なかき揚げを探しているが、見つからない。
仕方なく蕎麦やにはないかと天ぷら蕎麦を注文するが、あの橋善のかき揚げには程遠い。
悔しさと悲しみに伏せた、高梨沙羅選手に「元気の出るかき揚げ」「天にも届くかき揚げ」を食べて欲しい。
まずは、腹ごしらえ!
食べることからパワーを溜め、明日につなげて欲しい。
カラッと揚がった「かき揚げ」で気運を揚げて欲しい。
更(サラ)に強くなった、沙羅(サラ)選手を待っている。
今の時代は、かき揚げ丼より、マクドかな?
2022年2月21日 23時39分42秒 (Mon)
◆北京冬季五輪をジャッジ
熱戦が繰り広げられた北京冬季五輪は2月20日、閉幕を迎えた。閉会式は音楽構成を柱とした、演出構成は開会式のコンセプトのエピロープとして完結していた。
「さすが、チャン・イーモウ!」と世界が称賛した。
国威発揚に利用された五輪をアーティストとしてのチャン・イーモウはどう割り切ったのだろう。
五輪が単なるスポーツイベントと一線を画すのは、スポーツを通じ、より良い社会の実現や世界平和に貢献することを理想とするが、北京冬季大会は「平和の祭典」としての限界を露呈した。
史上最多18個のメダルを獲得した日本選手団の連日の活躍で歓喜あり・悔し涙ありで、ガッチリ心つかまれた。
トップアスリート達のド真剣の試合(競技)は、まさしく「スポーツの魅力」であり、五輪が魔力と化す。
注目競技では新旧アスリートの交代場面を映し出した大会となった。
しかし、環境への影響が懸念される人工雪の会場は「アスリート・ファースト」の安全面を考慮していない。
競技会場の北京と河北省は降水量が少なく、人工雪に頼らざるを得なかったとは言え、雪を造るには大量の水が必要で世界の潮流となっているSGDsが謳う「持続可能な五輪」との整合性に疑問符がつき、大会後も環境への影響が懸念されると言われている。
「自然との調和」が求められる冬季五輪において、改めて開催地選びに課題を残した。
また、公平・公正な舞台での競い合いがスポーツの原則だが、IOC自ら原則から目をそらしてきた結果ともいえる事態も起きた。
禁止薬物に陽性反応が出たROCの15歳、カミラ・ワリエワ選手の「救済」を重きにおいた裁定にはIOCは、責任はないという姿勢を示した。
しかし、いまだ解決をみないロシアの組織的なドーピング問題に対し、IOCの無責任さが招いたもので、ワリエワ選手の悲劇として歴史の闇に消されるのだろうか。
悲しい闇を見てしまった。
疑問を抱く判定も目立った。
平野歩夢の決勝2本目のジャッジなどは、計数的なジャッジ基準がない主観的(印象)採点によるものであることを露呈した。
歴史の浅い競技の悲哀がまだまだ残る。
フィギアスケートやジャンプ競技の採点は「計数化され」特にジャンプには「ウインドファクター」や「ゲートファクター」などの公平・公正基準が長年の競技の歴史で改定されてきた事、日本でいう「神風」などは、大きく減点要素となってします。
さらに、ジャンプ混合団体では高梨沙羅選手を含む女子5人がスーツの規定違反で失格。
検査告知無しのルール運用・狙いを絞った密室検査は「選手置き去り」ともいえる。
今後に禍根を残す「負」の面が印象に残ってしまう17日間でもあった。
さて、野球のジャッジも多くは「タイガイ」である。
加盟する地区はジャッジメントレベル(技量)は決して高くない。
昨年、近畿少年地区予選の決勝で試合前トス時に両チーム監督・主将が集合した際に、担当球審が「私は他の審判よりボークをシビアに多くとります。」と言い放った。
脅しである。
両チーム解散後、審判部幹部の前でその担当球審本人に注意した。
「球審を務めます、○○です、正確に一生懸命ジャッジさせてもらいます。好ゲームを期待します。」だけで良いのだ。
視覚判定に事前の頭の回転へのアイドリングと予測の準備、さらに高い動体視力の保持は大切な要素である。
極端に言えば、中学高校カテゴリーの公式戦レベルの競技ジャッジは、選手の将来をも左右してしまうかもしれない。
いい加減(適当)には出来ないのである。
ジャッジの覚悟こそ、スポーツマンシップの根本である。
2022年2月14日 16時45分34秒 (Mon)
◆春・第1戦
春の訪れを待てずに、今期の練習試合第1戦に向かった。冬練で、ある時は立ち向かい、ある時はもがき、ある時は逃げまくった日々を振り返る間も無く球春が訪れる。
本番に向け、積み上げる経験は必ずや戦士として背筋を伸ばしてくれる。
実戦で得た勇気は闘争心をもたらし、一体感のチーム力として昇華させる。
感じた不安や弱気からのミスは、練習(鍛錬)でしか解決できない。
本番の試合は「取り返しがつかない」が、練習は「取り戻しができる」「リ・チャレンジ出来る」。
大会まで、もう2か月を切ったとネガティブになり「焦る」か、まだ2ヶ月あるとポジティブに「改め直す」かで時間の値が変わる。
新しい芽も出てきた!
期待したい!
「勝利の先にある」夢が生まれてくる場所・事・行動は間違いなく自分の中にあります。
凍るような冬に枯れてしまいそうに追い詰めた、心・体は春のためにある。
春の訪れのたびに新しい芽を出す植物のように、上を目指しワクワク感で毎日を大切にしてほしい。
チームを預かる私は、この自分という『追い詰めて痩せた庭(フィールド)』と『戦う戦士たち』に温かく丸みを帯びた水を注ぎ続けようと思うのです。
2022年2月13日 20時49分34秒 (Sun)
◆源年行 先輩の教え
先般、練習後、選手のお母さんとお話しし「先輩」というキーワードで高校時代の憧れの先輩の名前を思い出した。人として「お手本」と言える優しく自分に厳しい方だった。
可愛がってい頂き多くを学んだ。
東北大学工学部へ進学され、外資系の某電子機器メーカー働いていらした。
しかし、数年前に残念ながら「癌」で他界された。
その、先輩との短いかかわりで、教わった言葉は「忠恕の教え」であった。
それは、昨年のNHK大河ドラマは、「青天を衝け」の最終回の1回前、渋沢栄一のセリフに出てきたと記憶する。
栄一が明治42年(1909年)に渡米実業団を組織し、団長として全国の商業会議所会頭を率いて訪米。
過密スケジュールをこなす旅の途上、伊藤博文がハルビンで暗殺されたことを知ら、その直後、排日運動の激しいサンフランシスコでの講演に臨み、用意されていた原稿を途中で放り投げ、自らの言葉でアメリカ人の聴衆に語りかけた。
「・・・・・日本には己の欲せざるところ、人に施すなかれという『忠恕の教え』が広く知れ渡っています。・・・・」と。
その鬼気迫る栄一のスピーチに、出席していた多くの人が万雷の拍手を贈った。
【忠恕/ちゅうじょ】とは・・・
自分の良心に忠実であること。
他人に対して思いやりの深いこと。
忠実で同情心に富むことを意味する。
もとは中国の儒教における二つの徳目「忠と恕」。
『忠』は良心ともいうべき内的な誠実心。
『恕』は「心の如(ごと)し」で誠実心に基づいて他人を思いやる徳、をいうとある。
難しいが、先輩の言葉がちょっと知識の箱の中入っていたことが嬉しかった。
その先輩の名は「源 年行(みなと としゆき)」さんは自らを源氏に起源があるものとして「みなもと”の” としゆき」と呼ばせ、呼ばれていた。
(我々はゲンネンコウ先輩と呼んでいた・・・)
源平に詳しく、「氏・姓・名」の成り立ちも教えて頂いた。
「お前のところにも氏名(うじな)があるだろう!」と説明して下さっていた。
名前に「の」が付くのは、当時の天皇から拝した氏名(うじな)で、
「平清盛・たいらのきよもり」
「源頼朝・みなもとのよりとも」
「菅原道真・すがわらのみちざね」
「在原業平・ありわらのなりひら」
「坂上田村麻呂・さかのうえのたむらまろ」
らがそれにあたり、
天皇から名前を配していない天下人達には
「足利尊氏・あしかがたかうじ」
「豊臣秀吉・とよとみひでよし」
「徳川家康・とくがわいえやす」などがある。
さて、すでに始まったNHK大河「鎌倉殿の13人」は、北条義時・北条時政・和田義盛・大江広元・三善康信・梶原景時・比企能員・安達盛長・三浦義澄・中原親能 ・二階堂行政・足立遠元 ・八田知家を指し、そのうち梶原景時はうちの家系に関わりありと聞く。
桓武天皇より「平氏」をいただいた「梶原氏」から、室町・戦国時代には長浜にあった◯◯城の「◯◯氏」で繋がるらしい。
しかし景時は史上、あまり印象が個人的には良くない。
本日2月13日の放映で、石橋山の戦で敵方であるが、頼朝を見逃したシーンが放送された(役・中村獅童)。
『忠恕の教え』的な情けを映し出していた。
先祖には「つながる系譜」に感謝し崇拝の対象ではあるが、今の自身にはなんの功罪もない。
他人事である。
知っておくと何故「滋賀に」ご縁が出来たかを理解できるところもあるぐらいである。
その後、戦国時代、京極家に仕えていたが戦禍に追われ「◯◯氏」が三方に分かれて新天地を探し、三通りに呼び名を変え、次の主君を得てきたのかを紐解くのも面白い。
滋賀で起源に繋がっていることの不思議に感謝。
闘う戦士ロビンズたちと、繋がることとご縁と感謝。
当時の戦(いくさ)では、敗れれば「首をはねられる」が、現代の戦(いくさ)「スポーツ」では命を落とすようなことは無い。
しかし、その覚悟で挑む「戦いざま」に期待したい。
毎日の練習も、その覚悟で臨むべく潔き・忠孝たる「坂東武者」に倣(なら)いたい。
「忠恕の教え」を胸に、既に「いざ鎌倉!」なのだ!
2022年2月8日 0時08分50秒 (Tue)
◆祭典のカタルシス
北京オリンピック2022開会式を観ましたか?素晴らしかった。
無駄がなかった。
必要最小限のテクニックと登場人物で開会式のコンセプトを表現していた。
導入部はプロジェクション・マッピング、レーザー、LED、ドローンなどの技術を駆使、雪のオリンピックに相応しい環境と春への期待をこめた簡潔な表現、各国選手団の入場を挟んで、後半はスポーツ選手と子供たちと普通の人々で構成された。
総監督のチャン・イーモウは、恐らく先の東京オリンピックの開会式を観て、苦々しく感じたのだろう。
日本人はスポーツのカタルシスと、芸能のカタルシスはまったく別物であるということが判っていない。
だから東京では芸人もダンサーも貧尺な役者もミソクソ一緒になってスポーツの祭典の開会式に登場してきた。
漫画の吹き出しに国名を書き、アニメの音楽で世界の選手を迎えた。
そんな失礼なことはない。
あの東京五輪の開会式を全否定して、北京五輪の開会式が成立している。
安っぽい芸人に歌を歌わせず、タレントに下手な芝居はさせず、伝統の切り売りもなく、清純な子供たちの歌声とスポーツ・レジェンドと普通の人々の集積で祭典をつむいだ。
映像についてはチャン・イーモウ自家薬籠のものだ。
後日には北野 武監督も称賛し、東京五輪のふがいなさを嘆いていた。
狂言師も振付家も政治家も電通も、東京五輪に関わったスタッフはみな頭を丸めたら如何。
不明を恥じ、スポーツを学び直してほしい。
ベルリン、ベネチィア、カンヌと世界の映画祭で尊敬されているチャン・イーモウはさすが踏み外さなかった。
彼の映画作品は、中国国内で上映禁止になった「活きる」、そして「初恋のきた道」とたどつて円熟をましたチャン・イーモウ監督はスポーツイベントを芸術に昇華したともいえる。
開会式のあいだ、モンゴル、香港、新疆ウィグル自治区の暗黒をひと時忘れさせてくれた。
それが、スポーツなのだ!
カタルシス=浄化なのだ!
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