2025年2月 アーカイブ

2025年2月27日 1時16分25秒 (Thu)

◆欲を制御、銀の二尊院

◆欲を制御、銀の二尊院銀世界も素晴らしい!

二尊院、渡月橋から北西に見える円い山容の小倉山の東麓に寺域が広がる。
この寺名は二尊院は本尊に釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を本堂にお祀りされていることに由来するらしい。
四季を通じて、美しい二尊院。
夏は夏で深緑が映え、巡る紅葉は小倉山の麓の傾斜のある広い境内が錦秋に包まれ、総門から西へ真直に伸びる参道は「紅葉の馬場」と呼ばれ、ひときわ見事といわれています。
春は春でその桜は美しい。
2月24日の寒波のニュースで聞こえた「二尊院」の雪化粧に、昔に覚えたある言葉を思い出した。

【人生五訓】
あせるな
おこるな
いばるな
くさるな
おこたるな

京都・嵯峨 小倉山二尊院
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今の季節、雪道を踏みしめ人生を滑るなとの学びを得る。

ひとは、あれもこれもと欲を出して貪り、望みが達せられないと他人に対する怒りをぶつける。
その怒りを絶対なものとするために、権威に頼み威張るようになる。
威張ったところでなお満足が得られないと、なんで思い通りにならないんだとくさる。
結局自分を失い、自ら為すべきことをおこたるところとなって、みじめな生涯を送ることになるぞ。
・・・ということなんだろうなぁ。
欲望は自らの心のコントロールにより、醸成され美しい心のもとに成るものであろう。

最近、己の身に降りかかる逆境や試練を他人のせいにすることで納得している様では、二尊院からの学びが足らないのです。

2025年2月25日 18時00分45秒 (Tue)

◆御所で逢えた。

◆御所で逢えた。購入して1年間、放置したままで、11月にちょっと入院した際に1日で読んだ本がある。
2023年直木賞を受賞した作品『八月の御所グラウンド』。
万城目 学氏の作品で京都を舞台に、有名神社仏閣や見慣れた京都の街が登場する、京都を存分に堪能できる作品だった。
小説は『十二月の都大路上下(カケ)ル』と『八月の御所グラウンド』の2本立て。
新婚当時住んだ、出町界隈にある懐かしの「今出川御所グラウンド」が舞台であった。

『八月の御所グラウンド』は死んだはずの伝説の名投手との草野球を書いていた。
本の帯には「感動&感涙の傑作青春小説」とあるものの私の中ではそこまでのことは無かった。

場所は、京都市民憩いのスポット『京都御苑』。
京都御苑内に進入するには、歴史深いいくつかの御門を通るが、そのうちの『石薬師御門』が物語に登場。
石薬師御門は、応仁の乱で焼失した神楽岡・真如堂の石薬師像から由来し、豊臣秀吉の政権下で聚楽第建設のためここ京極今出川に移転となったことなど、歴史を探れば面白い。
そして、物語の中心となる『御所グラウンド』。
あまり知られていないが、京都御苑にはこのような野球のできるグラウンドが2つ設けられ、そのうちのこちらは東北側、今出川広場にあるグラウンド。
会社の野球部の練習会場は主に、ここだった。
一方、同じような仕様で御所の南東側にある富小路広場にもグラウンドがある。

さらには、万城目氏自身が相当贔屓にされてたのではないか?と思われるほど、小説の中で頻繁に登場する、昔から地元で親しまれているパスタ&ケーキ専門店『セカンドハウス』。

新婚当時、家内がバイトしてたお店であった。
キャロットケーキもセカンドハウスの名物ケーキ。
懐かしい!
舞台が京都であったからこそ成立したような、そんな必然性も感じられ不思議な直木賞作品でした。

ひとつお思い出した。
母が言っていた・・・、「滋賀に住み替えて軽くなったんじゃない。京都はいろいろな霊が浮遊してたから。」
ぞくっ!

2025年2月21日 17時59分59秒 (Fri)

◆勝負のスリルと人生

◆勝負のスリルと人生人は勝つこともあるし、負けることもあります。
でもその深みを理解できていれば、人はたとえ負けたとしても、傷つきはしない。

人はあらゆるものに勝つわけにはいかないんです。
人は必ず負けます。
大事なのはその深みを理解することなのです。

負けても傷つかないということは、どういうことでしょうね。

勝つために、それほど努力しなかったから、負けてもどうってことない、とは違う気がします。
別に勝ちたい勝負じゃないから、なんとも思わないとも異なるでしょう。

精いっぱいの努力をしても、結果を受け止められる心持ちになれるってことでしょうね。

勝負は、努力だけで決まらない、相性、タイミング、運、などなど…そういう深みが分かってきた時に、勝負のスリルと、人生の面白みが見えてくるってことでしょうか。

それが分かる人間になりたいものです。
まだ、未熟な自分なので、ロビンズの全日本予選を間近に、いろいろ試行錯誤しているところです。

2025年2月12日 7時58分47秒 (Wed)

◆背負う番号とは

◆背負う番号とは2025年度の新チームに新たに背番号を配布した。
受け取った背番号で一喜一憂するかもしれないが、そんな必要はない。
価値は背番号の大小ではない。
その背番号が着けている選手の言動などで、光り輝いて見えるか、大きく見えるかが大切なのだ!

9つのポジション、 9つの打順には すべて役割があるが、背番号を着けているチーム全員で闘うだけのこと。
大切なのは「一枚岩か?!」ということ。

控えで支え、チームに目配り・気配りでき、気付きある選手はまだまだ少なく、高い意識の育みが急務である。
ベンチ内外には、闘うための大役がある。
そして、応援する育成会各位にも 大きな役割がある。
無論、ベンチは大きな責任がある。

春一番の第1戦に 役割の歯車を 100%機能させたい。
溢れる闘志!
謙虚な姿勢!
今までの感謝!
すべてのことに!
すべての方に感謝して迎えられるように、今を全力でやろう!

2025年2月11日 23時44分33秒 (Tue)

◆ムッシュ、逝く

◆ムッシュ、逝く大阪・阪神タイガースの名遊撃手として活躍し、後に監督として球団史上初の日本一へと導いた 吉田義男氏が、2025年2月3日、91歳で逝去されました。

直接の面識はなく、1960年生まれの筆者は氏の現役姿はTVで観つつも、その記憶は薄い。
しかし「職人技」と言われた守備の姿は、同時期に活躍した長嶋や広岡よりも心をわしづかみされた。
更に、会社に吉田氏の後輩にあたる先輩からは、たびたび「吉田義男・話」を楽しく聞かされ酒杯が進んだ。

吉田義男さんは1933年京都市生まれ。
京都府立山城高校では1950年2年生の夏に遊撃手として甲子園出場を果たすも、1回戦で敗退。
卒業後、立命館大学に進学し、1年生からレギュラーで活躍するも中退、1953年に大阪タイガースに入団、新人遊撃手として初となるシーズン100安打超え、119安打をマークした。
その後も、タイガースの遊撃手として活躍し、その卓越した守備力から「牛若丸」と称され、1953年から1969年までの16年間、チームの中心選手として貢献、特に、1962年と1964年のリーグ優勝に大きく寄与した。
1962年の日本シリーズではシリーズ記録となる16安打を放ち、1964年には主将としてリーグ3位となる打率.318を記録している。
現役引退後は、阪神タイガースの監督を3度務め、特に1985年にはチームを球団史上初の日本一に導くという偉業を成し遂げた。
また、1989年からはフランスに渡り、フランス代表監督として現地の野球普及に尽力し、「ムッシュ」として親しまれました。その功績が認められ、1992年には日本の野球殿堂入りを果たしている。

吉田氏の背番号「23」は1987年より、阪神タイガースの永久欠番として讃えられています。
その功績と影響は今もなお多くの人々に深く刻まれ、筆者もその生き様に学んだことが多い。


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