2025年10月 アーカイブ

2025年10月29日 14時50分33秒 (Wed)

◆正岡子規と柿と

◆正岡子規と柿と野球とのかかわりが深い、俳人・正岡子規。
ある本に、療養で旅行中の奈良で明治28年の10月26日に「柿」をたべていたと・・・・記述があった。
旅先でも柿を見つけると食べたくなる程に子規は「柿」が大好きだったらしい。

親友で、奈良旅行費を工面してくれた夏目漱石の句「鐘つけば 銀杏ちるなり建長寺」への返礼の句が、かの「柿くえば 鐘が鳴るなり 法隆寺」なのらしい。 

俳句の革命児と呼ばれた、子規の追善については、子規の亡くなった9月19日の獺祭忌や、糸瓜忌があるが、個人的には法隆寺の鐘がきこえてきたこの日の夕方、彼が幸せそうに「柿」を食べていた情景を連想する。

柿に関わるものが一句ある。
「柿くふも 今年ばかりと 思いけり」・・・・来年は食べれないと覚悟してたのか?
34才の若さで旅立った子規だったが、苺の飾られたケーキのなかったあの頃、柿の甘さへのこだわりはこの二句で充分に伝わる。

秋となり、連日のクマ出没報道で人に被害が出ている。
「クマが柿を・・・・」という報道は、自然破壊を人間自らの都合と身勝手で、猛獣たちとの共生を置き去りにしたことのツケであろう。
正岡子規ならクマの悲哀に、どのうな一句を詠むか?
ロビンズ運営の日々にある悲哀や苦悩・歓喜を「柿とクマ」になぞらえ、一句頂きたい。

『存在を 鳴らす鈴の音 新レギュラー』・・・おそまつ。       

2025年10月27日 15時08分20秒 (Mon)

◆AIで野球ができる?

◆AIで野球ができる?2~3年前、NHKで放送されていた「マリオ AIのゆくえ」というドラマがあった、と記憶する。
舞台は近未来の東京。
AI「マリオ(名称)」を開発した科学者が、意識不明の重体に陥ったある警察官の脳にそのAI「マリオ」を埋め込むことに成功し、それによって肉体を得たその警官マリオは、野に放たれた。

科学者は「AIマリオ」に、人間とはなんたるかを教える。
天才的な頭脳は持っているマリオだが、人間になるには決定的に足りないものがあった。
科学者は、「AIマリオ」が人間になるのに必要なのは「仏教の三毒」を知ることだと説く。
やがて「AIマリオ」は人間のさまざまな矛盾に触れ、「煩悩」について学んでゆくドラマだったと思い出す。

仏教を押し付けるつもりはないが「仏教の三毒」とは何だろうか。
ドラマでは、それは煩悩であり、「貪・瞋・痴(とんじんち)」だと言っていた。

三毒の煩悩とは・・・?
煩悩は、文字通り私たちを煩わせ悩ませるもの。
煩悩が108あることはよく知られていますが、その中でも特に私たちを煩わせ、悩ませるものが貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)の3つ。
これを「三毒の煩悩」と言われていると学んだ。

この3つの煩悩を表した言葉が「仏教の三毒」であり、「貪・瞋・痴(とんじんち)」なのです。
では、それぞれどんな心なのか。

①貪欲(とんよく)
「貪欲」とは、欲のことです。
欲は、なければないで欲しい、あればあったでもっと欲しいという心。
その深さは底が知れないことから、深くなればなるほど色味を増す海の色、青色にたとえられます。

代表的な欲に5つあり、これを五欲(ごよく)と教えられます。
・食欲・財欲・色欲・名誉欲・睡眠。
日々を振り返ると、いつもこれらの心に振り回されていることに気づく。
どの欲も、求めればどこまでもキリがない。

②瞋恚(しんに)
「瞋恚」とは怒りのことです。
欲が妨げられると出てくるのが怒りの心。
頭に血が上ると顔が真っ赤になることや、火にもたとえられることから、赤色で表される。
「怒りは無謀に始まり、後悔に終わる」とも言われるが、怒りの心のままに振る舞えば、周りも自分も傷つけて何一ついいことがありません。
何度もそれで後悔しているはずなのに、一度頭に血が上るとどうにも止められない、恐ろしい心です。

③愚痴(ぐち)
「愚痴」とは、ねたみやそねみ、うらみの心のこと。
とても他人に言えないドロドロした心ですから、黒色にたとえられる。

愚痴は愚かでバカな心だと教えられています。
それは、因果の道理が分からない心だからです。・・・・・と、昔「美学」のゼミで学んだとは言えないレベルで聞いた覚えがある。
AIが組織を運営を手伝ってくれるなら、いろんな雑念は発生しないのかな?
AIで組織されたチームと野球の試合をすれば、どうなるのか?
面白くないだろうな。
人がやるから、面白い!
人が集まるから、温かい!
人が支えるから、組織が育ち、選手が育つのだと信じる。


2025年10月17日 11時30分18秒 (Fri)

◆草刈りに思う

◆草刈りに思う先般、多くの方々に支援いただき、グランドの草刈りを終えた。
近代的な装備(草刈り機)で草刈りをするたびに、開拓団と呼ばれた人たちのご苦労を思う。

昔は、手引きの鋸(ノコギリ)。
鋤(スキ)、鍬(クワ)、鎌(カマ)などは、すべて人力であった。
人以外の動力は「馬・牛」のみで、戦後20年ぐらいまでは、道具の近代化・進化は無かった。

北海道(蝦夷地)の開拓史は江戸時代の松前藩とアイヌ民族との関わりから始まり、明治維新の政府の北方防衛と開拓政策を命令として、廃藩で職を失った士族を募った「屯田兵」~太平洋戦争後の戦後開拓と続く。
日本国内における農地開拓のうち、大戦後に食糧増産・復員軍人・海外引揚者・戦災者の就業確保のため、国策として行われた開拓事業である。

以下に沿えた3つの手記は、昭和20年代に網走へ移民した女性たちの記録です。
昭和時代でさえ、開拓民は縄文時代さながらの暮らしを強いられたことが分かる。
明治の開拓民の厳しさはおそらく今の私たちの想像をはるかに超えるものであったと思われます。

<手記 ➀>・・・・・
開墾は、それはもう厳しいものでした。
木の根があり、石があり、支給された鍬は、すぐ歯がボロボロになり何の役にも立ちません。
まず木を切り倒し、薪にして売りに出します。
その後、根を掘り起こし、大きな根は火薬抜根でおこしていきます。
樹齢100年以上と思われる桂の木や、楢の木が何のためらいもなく次々と薪にされていったのです。
やっとの思いで拓いた土地に、麦、トウキビ、イナキビ等を植えましたが、斜里岳下ろしの強風にあおられ、なかなか収入には結びつきません。
(中略)お風呂は下駄をはいて入るドラム缶、外には、熊、きつね、たぬき、へび等がこちらの動きを伺っています。
(中略)卵を得るために飼ったニワトリは寒さのため卵を生まず、肉を得ようと飼った豚は、食糧不足のため太らず、(中略)1間しかない掘っ立て小屋は、真ん中に炉が切ってあり、薪を燃やして暖をとり、夜はおき火に灰をかけ、四方から足を入れ炬燵にして休みます。
朝起きると、布団の衿が凍っていたり、ふぶきの日には、布団の上にも雪が白く積もっていまいます。
もう少しましな家が欲しい、と皆さんに手伝ってもらい、柱を建て終わったところで、強風のため吹き飛ばされてしまったのです。
この時に、開墾をあきらめ山を下りる決心をしました。

<手記 ②>・・・・・
家といっても、小さな拝小屋でした。板、柾、釘等何もないので、やちだもの木の皮をむき、ぶどう蔓でゆわえて屋根にし、熊笹とか松の枝をぶどう蔓で巻いて壁にし、床は土間でした。
真ん中に炉が切ってあり、大きな丸太んぼを常時くべ、火種を絶やさないようにしていました。
くべる木は、なら、いたや、しころ等で、おんこや松ははねるので使いませんでした。何にしろ、寝るところが笹の葉をしきつめ、ムシロをしいていましたので、火がはねると大変なのです。
(中略)海水は命の水でした。浜へ遊びに行く時は、それぞれが一升びんやがんがんを持って行き、帰りには必ず海水をいっぱい入れて帰って来ました。
塩、味噌、正油が手に入るまでは、この海水が唯一の調味料でした。

<手記 ③>・・・・・
ストーブもなく、川辺に石を積み、かまどを作って天気の良い日には外で食事、雨天はやむなく家の中で、煙突もない、かまどなので煙が家の中にたちこもり、天窓はありましたが開けられず、飯川さんの仏像が燻製になるのではと思いました。
雨もりにも悩まされ、濡れては困るものを抱えて、一晩中逃げ回ったこともたびたびでした。ランプもなく、作業用ガス燈が一つだけでしたから、海岸でトッカリ(アザラシ)を捕り、その油を貝殻に入れて灯しました。肉も大切な栄養源でした。初めは、浜から拾った貝殻を食器替わりにしていました。
(以上、斜里女性史をつくる会発行『語り継ぐ女の歴史』より)。

いつも、草刈りで歴史を振り返り、当時の命懸けの毎日を知り、今の普段の有難さに感謝する。
しかし、丸1年振りの「草刈り現場」には、初めて見る白くて大きな「シロオニタケ」という、コケが生えていた。(写真掲載)
筆者のジイジには判別できず、4歳の孫にご教示いただいた次第である・・・・・。

2025年10月8日 7時16分03秒 (Wed)

◆99の失敗(県大会を前に)

◆99の失敗(県大会を前に)100の挑戦をして、99は失敗するかもしれません。
しかし99の失敗を楽しめるというメンタリティがあれば、人は大きく成長することができるのです。
その人にとって,80%の努力をした人が、50%くらいしか努力していない人に負けることがあるかもしれない。

これは、現実に起こりうること。
これをどう理解するか。
「こんなこともあるさ。でも好きだから続けるよ!」っていう精神の持ち主と、「努力が報われないようじゃ、やってられない。やめる!」っていう思考回路になる人とに、きっと分かれる。

どっちがいいとか悪いとかの問題じゃない。

その人にとって、そのことが楽しめるか、楽しめないかだけのことなのだ。
失敗を受け入れるだけの話で済まないかもしれない。

思い通りにいかない、理不尽なこととか、不公平、不平等なことだってありえるかもしれない。
それでも、1の成功の前に、99の失敗を受け入れる覚悟。

それくらい当たり前、という感覚で、それを楽しむ。
それが、長くチャレンジできる秘訣。
長くチャレンジしていれば、そのうち、いいことがあるのだ。
謙虚にチャレンジし続けていれば、勝つに相応しいチームへと成長する。

そんな私は、99.9%の失敗ばかりです。

2025年10月6日 23時00分34秒 (Mon)

◆週末の雨に思う

◆週末の雨に思う土日の降雨予報でバタバタとなる。

「降水確率が高いから今日の練習は休止します」とは、運営の管理者としてさらに設立の責任者として簡単に言いたくない。
代替施設借用のチャンスの扉は当日の朝に開く作業を自分でこじあけなければいけない。

どうして出来なかったの?
なぜ、やれなかったんだ?
何もしないでいて、全力で動いているの?
誰かに問われるばかりでなく、自分のなかでも問い正している場面ばかり。

都合のいい言い訳でも見つかれば、気楽ですが、それを許す性格ではない。
「1分でも早い判断で、少しでも広い場所で、近い場所で・・・・。」という思いだけが出てきます。
問題を解決するためには、その「少しでもいい条件で活動させたい」という気持ちを表に出し全力を振り絞ります。
本気で取り組んでいます。

環境が整っていないから…
やりたかったけれど邪魔されて…
本当はやる気あるけれど…
そんな言葉を繰り返して、同じところに留まっていてもしょうがない。

「本気です!」っていう真摯な姿勢に正直な気持ちを表に出すことで、まず、手を抜かず現実に前進することが大切。

その上で、マネージメントが本当にやりたいことなら、本気で考えればいいし、そうじゃないことは、自分で責任をとる覚悟はもっておいて、冷静になれる時を待つしかない。

もちろん、無理やり始める、という荒療治もあることだろう。
いずれにしろ、環境や条件のせいじゃない。
自分の選択の問題なのだ。
自分の本気の覚悟の問題なのだ。

選手諸君、本気か?
男が男に惚れるのは、ヤルと決めた事へのその人の「本気度」なのだ。
本気だったら、毎日素振りするよね?
本気だったら、毎日ランニングはするよね?
本気だから、考えるよね!
本気だから、汗かけるね!
本気だから、泣けるよね!

★ブログ(球魂)

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